シンギュラリティ(技術的特異点)とは何か、どう解釈すべきか。今後のリハビリ業界の考察

シンギュラリティとは


シンギュラリティとは「技術的特異点」と言われ、今後50年以内に到達するであろうと言われている大きな社会的転換期のことです。

2045年頃この特異点を迎え、AI(人工知能)が人類の知能を上回りはじめ、飛躍的に文明が進化するのでは、と言われています。




この概念を提唱したのは、人工知能の世界的権威であるレイ・カーツワイルというフューチャリスト(未来を研究している研究家)です。

この特異点の後は、人類の科学技術の発明はコンピューターにより行われ、それに付随して人類が発達していくそうです。もう人には理解できないシステムや技術が社会に溢れるようになるということです。

未来では人は死なない!?

カーツワイル氏という方は、著書でさらに先の未来まで想像していて、コンピューターが発達すると、しょせん人の感覚なども電気信号に過ぎないので、コンピューターにインプットすることで好きな感情を味わえたり、感覚や体験ですらもコントロールすることが可能になると言っています。

 

最終的には、人類にもはや肉体は必要なく、脳だけあれば様々な体験を経験したりすることができるようになります。結果的には、人類は長年切望していた老いや死の恐怖から逃れて生き続けることが可能となります。

 

こうなると、例えばですが、水槽の中に脳を浸けておいて、自在にほとんど現実と変わらないようなリアルな夢を機械で見せれば、もうなんにでもなれます。

私が明日からミスチルのボーカルになりたい、と思ったらなれるわけです。いや、素晴らしい・・・のでしょうか?

 

ここまでのレベルはさすがに私が生きている間に実現は無理そうですが、AIの飛躍的な発達などはあり得ることです。

結局のところ、シンギュラリティ(技術的特異点)とは何か?

私はこの記事を書くにあたって、ネットで色々このシンギュラリティに関する意見を参照しましたが、極論が多い気がします。

 

「全てがコンピューターでできたら素晴らしい世の中になる」、「いや、コンピューターはいずれ人間の脅威となる」などです。

しかし、本当の所を探ろうと思うのなら、このカーツワイル氏が「フューチャリストである」というところに真実が隠されている気がします。

 

フューチャリストは、未来学を研究する研究家のことを言うのですが、調べてみると、「ありうる未来だけでなく、もっともらしい未来、望ましい未来、未知の未来を研究する学問」と書かれています。

 

もっともらしい、望ましいというのが味噌です。決して事実に起こり得る確率が高いものだけを研究しているわけではないようです。

 

 

そうなると、シンギュラリティの新しい視座が生まれます。

これは、多分に「望ましい未来」、「わくわくするような未来」も含まれた仮説ではないか?ということです。

未来は誰にも分からない

科学の進歩は確かに驚異的です。

例えば30年前には考えられかった、一家に一台パソコンは当たり前になって、現在では手のひらサイズのパソコンを家の外にまで持ち運ぶようになりました。

他にも自動車の自動化運転はもう試作段階ですし、近い将来に実現しそうな勢いです。タクシーが自動化されれば、タクシー運転手は必要なくなるし、工場でもすでにオートメーション化により単純作業は機械化されています。

 

しかし、一方で眼鏡型・腕時計型のウェアラブル端末の普及は思った様に進んでいません。

 

そう考えると、恐らくカーツワイル氏が提唱することの中にも実現できないものが多数含まれていると考えるのが妥当だと思います。

 

例えば、車の自動運転化だって科学的・技術的に可能でも、タクシー運転手の雇用の問題という切り口で考えれば、実現できない可能性もあります。

また、真偽は定かではありませんが、IPS細胞のように、巨大な圧力で潰されてしまう技術も当然あるでしょう。

ちなみに雇用に関しては、単純労働がなくなって失業者が増えるというのは安易な意見で、それに代わった仕事が出てくると思うのでそれほど心配することはないと思います。

実際、IT企業とか30前には少なかったでしょう?今では立派に雇用を生み出していますよね。

 

カーツワイル氏が唱えるシンギュラリティは、あくまで「科学的に可能であって欲しい」という科学分野に限定された希望的な側面が強調されていると思います。現実には、それに付随して社会的・経済的な問題など様々な足かせがあり、実現できることは限られているのではないでしょうか。

 

例えば映画のバックトゥザフューチャーが描いた未来は2015年を舞台にしており、ワクワクするような未来が描かれていました。

あの映画の中でも、ポータブル端末やホバーボードなど実現しているものはありますが、できていないものもたくさんあります。

また実際に技術的には実現可能だとしても、映画のように一般市民が日常生活でごく普通に使えるようになるまでには、大量生産・低価格化も実現されていなければなりませんし、ハードルはかなり高いです。

 

人が未来を想像する時、かなりの確率で、「希望的憶測」が入ってしまうものだと思います。

 

「未来はだれにも分からない。

これは紛れもない真実であると思います。

 

しかし、未来は現在の流れの中で変化していきます。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ、と言う言葉がありますが、歴史の流れを捉えることが未来を考察するひとつのヒントになりそうです。

「個人主義」と「垣根を壊すサービス」

2016年以降、今後確実に来る、あるいは来ている時代の流れのキーワードは、「個人主義」と「垣根を壊すサービス」です。

 

大企業に就職することが幸せな人生のためのセオリーだった昔ですが、今では大企業に就職しても、幸せとは程遠い生活を送っている人も多く、またいつ大企業の経営が傾くかもしれません。そういった昔の価値観が目に見えて崩壊し始めています。

人口ピラミッドが逆転し始めている昨今では、若手社員が少数になってくるので昔のままの年功序列システムが成り立つはずもありません。

 

ミニマリストなど「物どころか、お金さえいらない」と考える人も出現し始めていて、個人の価値観はどんどん多様化しています。そうなってくると個人の価値観に基づいた独自の視点のサービスで稼ぐ人が出るようになってきます。

実際、私みたいな者でもネット上の個人ブログでこうやって簡単に情報を発信することができ、収益を得ることができます。

 

例えばYoutubeのようなサービスだって、科学技術の発達によって個人で実際にできる社会になってくるでしょう。(もちろん規模を拡大するならばそれなりの組織が必要ですが。)

 

また、もうひとつの時代の流れとして、「垣根を壊すサービスの代頭」が挙げられます。

例えば、「物は店で買う」という概念を壊したのがネットショッピングであり、最近のモノではスマホがそうです。スマホがあればビデオもカメラも、腕時計もいらない。パソコンも無くても、まぁなんとかなります。

これらは「一つの分野」に固執して考えていると絶対に出てこない発想で、まさしく垣根を超えた発想でしょう。

 

この流れはモノやサービスだけではありません。

人の動きも流動化して、垣根がなくなってきています。

 

例えば10年前であれば私が「ホリエモン」こと堀江貴文さんに連絡を取りたいと思っても無理でしょうが、今ならツイッターを使えば私のメッセージを堀江さんに伝えることも可能なわけです。

 

さらに、副業が少し前に流行った様に、仕事も一つだけでなく、何個も掛け持ちしている人が増えてきています。そういった働き方をパラレルキャリアといいますが、一つの仕事を一つの会社でやる、と言う概念がもう古くなってきているのです。

 

さらに世界のトレンドとしてAir bnbがあり、あれは個人の資産の象徴である「不動産・家」を共有化することと言えます。それはまさしく個人と他者との財産の垣根が小さくなってきていることを暗示しています。

国家間ではTPPやグローバリゼーションがそうですよね。

 

私が最近読んだ本(題名はすいません、覚えていません・・)では、地球よりも文明の進んだ宇宙人が地球に来て、人類にアドバイスするという話だったのですが、そのなかで人類の始めの誤り=根本的な誤りが、「経済」だ、とその宇宙人が言っていたのが印象に残っています。

 

その進んだ文明を持つ宇宙人の社会では、個人と言う概念がなく、皆のためになるなら個人が平気で命を捨てる文明だそうです。全体の利益が個人の利益になると皆が認識しているのです。

 

その進んだ文明では「個人は全体」という共通の意識・認識があり、垣根がない。

この垣根を作るのが「貨幣経済である」という話でした。

まあオカルトな作り話で信憑性も何もない妄想の様な話ですが、実際そういった側面はあるのかなと思って印象に残っています。

 

「モノもヒトも垣根がなくなって個人が全体になる時代」

これが今後のキーワードになる気がします。

 

99%の富を1%の富裕層が所有している、と言われる現在の世界経済ですが、お金もみんなで共有して誰もが使いたいときに使うことができる社会になると、もうこれは理想の社会ですよね。

わかりやすく言うと、全人類で銀行口座を一つ所有している様な状態。

 

昨年人気になった経済学者のトマ・ピケティ氏が言っていることも、つまりはこれで、「富の再配分」です。

「個人に偏った経済社会を均等にならそう」という主張がピケティ氏の主張であり、それは今の時代の流れの「垣根を壊すこと」に合致しているため、あのように大流行したのではないでしょうか。

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”鎖国職”は技術の流動化・オープン化が必要

で、私が結局何を言いたいかと言うと、私達のような「専門職の危うさ」です。

 

私は理学療法士という専門職を生業にしていますが、この専門職がどうも時代に逆行しているとしか思えないことが多いです。

 

「垣根を作る方向にばかり動こうとする」のです。

 

リハビリ業界は専門性を高める=他との差別化を図るためにあらゆる努力を重ねています。研究してリハビリの効果の科学的な根拠を示そうとしたり、リハビリ職の専門性は何か?という議論が良くされています。

 

さらに業界の発展をまだまだ個人の努力に頼っていることが多く、むしろ他業種と絡む療法士を嫌い、疎ましく思う傾向があります。

まるで、”鎖国”状態です。

 

敢えて言いますけど、そんなにリハビリに専門性って必要ですかね?

 

例えば、週一回訪問リハビリするだけなら効果が出にくいのはほとんど明白で科学的な根拠もあります。

それなら家族さんにリハビリを毎日してもらう方が良いのではないでしょうか?

リハビリは専門家しかできない!っていうのじゃなく、リハビリ職の技術を、誰でもできる技術に落とし込んで普及させていくことに理学療法士や専門職は尽力していくことが今後の業界の発展に必要なのではないでしょうか?

 

私は美容室に4年位行っていません。

なぜなら別に美容室に行かなくても家で髪を切れるからです。美容師って専門家で確かに髪をきれいにカットしてくれますけど、そこまで質を求めていない私みたいな人も結構いると思うのです。

 

そうであれば、自宅でセルフカットする方法教えます!みたいな教室とかサービスがあれば流行るかも知れない。少なくとも私は通いたいです。値段にもよりますが。

 

リハビリは明らかに時代に逆行して技術を囲い込む方向にばかり動いていると先は決して明るいものにならないと思います。

 

リハビリだけに限らず、専門職は技術をもっとオープンにして、みんなで共有できるようにしていくべきです。

 

理学療法士としておそらく専門分野である、筋肉・動作の知識は確かに素人の人には理解しにくいでしょうが、パソコンやネット、動画を使えば家族さんに説明してリハビリ方法を教えることも不可能ではないと思うのです。良いアプリなどが一杯ありますから。

疾患に対する評価の方法は教えて無理ならそれだけ専門家がやれば良いですし、簡単な治療の部分は素人の家族さんでも決してできないことはないと思います。

 

なら、なぜ今までそういった話が無く、家族さんや素人の人に治療をしてもらおうと積極的にこの業界が動かないか?

診療報酬が減らされて、リハビリの時間も減らされて、なぜそういう発想が出てこないのか?

なぜ、専門性を高めよう!の名のもとに技術を神格化して囲い込もうとしているのか?

 

それは、専門職の潜在的な「職を失う怖さ」にあると思います。

 

正直、私は「もう私達でリハビリできますので、リハビリに来て頂かなくても結構です。」と言われると困ります。

仕事がなくなって給料が貰えません。

 

だから「私達にしかできない」と主張し、専門性を高める=素人と壁を作る、と言う方向に走っていってしまうのだと思います。

でも、その結果、何ができたでしょう?

 

リハビリって何ですか?って聞いてちゃんと答えられる人って普通いないですよね。

少なくとも私の周りの素人の人は・・??って感じです。

 

リハビリが何かも分からない、世間に知られていない。

それで社会的に認められようってかなり無理なことを言ってる気がします。

 

これは、一般に伝わりにくい小難しい理論で武装して、専門職の利権維持のために技術や専門的な情報を囲い込んできたためではないでしょうか。

だから、リハビリはいまだに「胡散臭い」と思っている人もたくさんいるのです。だって何をしているかわからないのですから。

 

もちろん、対外的にはオープンにしつつ、専門職としての専門性を高める努力は継続していくべきです。

でも、明らかに今の業界は「囲い込む」方向に流れていっている気がしてなりません。

 

もし、技術のオープン化によってリハビリ職が仕事を失うことになったらどうするんだ、といった声が聞こえてきそうですが、必ず他にも専門性を活かすことはできます。

例えば家族さんにリハビリを教える、という専門職は必要ですし、リハビリの評価を考えたり、プログラムを立てるのは慣れている専門職の方が良いでしょう。

 

職域は狭くなるかも知れないですが、別に良いんじゃないでしょうか?

 

だってリハビリってなんのためにあるのかってことを考えたら、それは患者さんが良くなるためです。

それが社会がリハビリに求めることです。

 

社会はリハビリによって、リハビリ職が給料をもらうことを求めているわけじゃないです。

 

もし、それで「要らない」と社会に言われるなら、おとなしく違う仕事で食っていきましょう。

 

 

 

私の祖父は金物屋を経営していました。

今、金物屋って街中で見ますか?見ませんよね。恐らく若い人は金物屋自体がなにか分からないと思います。

 

社会的に金物屋が必要とされなくなった。だから街中から姿を消した。

 

それが文明の進化でもある訳です。自然淘汰で必要のないものは消滅していきます。

それにいくら逆らったって無駄です。

 

リハビリ職の技術をオープン化して、今と違う形で専門性を活かす道を私も必死に考えています。

何か良い案があればまた教えて下さいね。

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