
リハビリでは患者さんの身体に治療者として触って治すものだ、と思い込んでいませんか?
療法士として勉強する学問には解剖学や運動学などがありますが、どの学問も「触らなければならない」ということは一切書いていないんです。
「触らなければ治療ではない、リハビリでない。」
それは事実ではなくて、実は固定概念、思い込みでしかありません。
実は誰もそんなことは言っていませんよね。
守破離
少し話は変わって、もし、患者さんの家族さんに「リハビリってなんですか?」て聞かれたら何と答えますか?
私なら「私がリハビリを今からしますので、見て下さい。」と答えると思います。
人から何かを教わる時、必ず、フレーム、つまりは「型」を通して教えてもらいます。
「こうやるんだよ」って言って見本を見せてもらう。
人は部分の繋がりを認識することで、初めて全体を俯瞰して捉えることができます。
その部分のつながりを、はっきりと認識するためには、まず一度、フレーム、つまり全体像である「型」を一度見る必要がある。
リハビリが何なのか?
細かい部分が良く分からない初心者は、そうやって何となく漠然とリハビリというものを掴んでいく。
そして勉強を進めていくと、徐々に細部が見えてくるようになります。
しかし、何年かリハビリをやっていくと、その型を壊していかなければならないと感じる時があります。
もうこれ以上、その型の中で成長を続けることができない。
大きく成長した自分が、型・枠の中で一杯になって、苦しいし、狭い。
そう感じる時があると思います。
勉強して細部が診れるようになると、細部の情報量はどんどん膨らんでくる。
膨らんだ細部同士が折り重なって、どんどん膨張を始める。
もう明らかに、この枠の中は満たされている。これ以上情報量を増やすことはできない。
それが漠然とした、「窮屈な違和感」として感じられることがあると思います。
実際に、一定の段階にある人が成長していくためには、ある程度自由が制限された場所の方が良い。
あまりにも広大な、選択肢が多すぎる世界では、どこいいけば良いのか、何を選べば良いのか、途方に暮れるばかりです。
武道の世界では、「守破離」という概念があります。
まずは教わった、型(世界)を忠実に守る。
次にその世界を破っていく。殻を破る。
そして、どんどんその世界から離れて、次の世界を見ていく。
そうやって修行していく。成長していく。
これが守破離です。
子供達の成長も同じで、まずは親の言いつけを守り、思春期にそれを壊そうと反抗期を迎える。
やがて、自分の興味・関心のある世界に目を向け、親の保護がある世界を離れていく。
それが自立です。
あなたがリハビリで臨床をしていて、何か違和感を感じる。
何か苦しい、何か違うと感じる。
それは、あなたが今まで居た枠・殻・世界を出ましょう、と自身の心が言っているのかもしれません。
もうこれ以上、ここにいてはいけない。
成長できない。
あなたは本当は苦しがっている。
世界が狭いと感じている。
パンパンに膨らんだ殻を、破る時が来ている。
「世界を守るだけではなく、破っていかなければならない。」
そう、あなたは気付いているのかもしれません。
自身の世界を”再定義”する
もし、何かよく分からない、漠然とした不安や悩みがあるなら、
「殻を破りたい。違う世界を見たい。」
あなたは心の奥底でそう感じているのかもしれません。
では、どうすれば良いのか?
どうすればこの不快な違和感がなくなり、またリハビリで臨床に立ち始めた頃のようにワクワクと気持ちを躍らせて、患者さんを診ることができるのでしょうか?
物理的にリハ業界を一度離れて、全く違う仕事をしなければならないのでしょうか?
もちろん、そんなことはありません。
そこまですれば実際にかなり世界は変わるでしょうが、全く新しい未知の世界に踏み込むことは、普通はかなり勇気のいることです。
そういった世界にためらいなく踏み込むことができる人もいるでしょうが、恐らく少数でしょう。
今まで慣れ親しんだ世界を物理的に離れることが無く、新たにリフレッシュさせ、拡大させる方法があります。
それは、「再定義すること」です。
どういう事かと言うと、あなたが今居る、今では窮屈になってしまった、馴染みのある親しみやすい世界。
それをもう一度、一から捉え直すことです。
一から捉え直し、再定義するのです。必ず、一からですよ。
リハビリとは何ですか?
そこから自身の成長に合わせて、定義を一から考える。
身体しか診ていない世界から、心もその対象として定義することもできますよね。
実際に心と体が密接に関係していることは科学でも証明されている事実です。
リハビリでは体と同じように心も診る。あなたがそういった風に再定義したとする。
するとどうでしょうか?
一気に世界は広がります。
運動学や解剖学だけでなく、心理学や、脳科学、行動学、精神分析、哲学、宗教そういったものを新たに学ばなければならないかもしれない。そして、そのつながりを感じなければならないでしょう。
それが世界が広がった、ということです。
あなたはその馴染みのある新しい世界(一見すると矛盾する表現ですが)で、またワクワクした気持ちで、患者さんを診ることができる。
臨床の治療とは何ですか?
冒頭に述べたように、治療とは患者に触って行うもの、と何となく思っていたかもしれません。
でも、それは今ではあなたにとって窮屈な世界での定義です。
新たに定義すると「別に触らなくたって治療はできる、触らない治療もある。」ということが自然に理解できるはずです。
声かけや関わり方で人は変われるし、別に実際に対面してコミュニケーションしなくても人を変えることはできます。
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触らない治療法
具体的に「どうやって触らないで治療できるの?」と思われるかもしれません。
以下にどうすれば良いのか、具体的にご紹介します。
気功を使うとかそういったオカルトの話ではないので安心して下さい。
あなたは窮屈な今までの「リハビリ」という世界に生きている。
そこには、何百回、何千回も繰り返したROMがある。筋力トレーニングがある。
患者に穴が空く程、凝視して行った動作分析、評価がある。
休みの日に、遠くで開催される勉強会に何回も、何回も足を運んだりもした。
ボロボロになるまで何度も見た解剖学の本があなたの部屋には転がっている。
夜遅くまで同期と触診の勉強で身体を触り合った思い出がある。
居酒屋で仲間と理想のリハビリについて朝まで語った思い出もある。
自分なりに精一杯努力してきた。頑張ってきた。
誰が認めるのではなく、あなた自身がそれは良く分かっている。
でも今ではあなたは何かおかしいと感じている。
なぜかしっくり来ていない。
何かが以前と違う。
リハビリの勉強を始めた頃の様に、ゴッドハンドに憧れ、がむしゃらに勉強会に参加し、同期と競い合いながら、自身の成長を楽しみにしていた自分。
もうその自分がいない。心に穴が空いたような感じ。
もうここでは成長できない。
そう、感じている。
言葉にはできなくても、心の奥では感じてしまっている。
あなたは今、ボロボロになって手垢の染み込んだ解剖学の本を捨て、助け合った仲間を置き去りにして、楽しかった想い出を捨て、全てを捨ててそこの世界から出ていけるかどうか、試されている。
自分がまたあの頃の様に、ワクワクして、自身の成長を楽しみにリハビリをするためには、この世界を一から再定義し、新しく出発しなければならない。
それは非常に勇気のいることだと思います。
「ホメオスタシス」という言葉があります。
恒常性のことで、生物には内部環境を一定に保とうとする働きがあることを言います。
外部の世界を変えることはすなわち、このホメオスタシスが崩れることを意味します。
全てを捨てて新しい世界に踏み込むことは、生物なら誰しも生理的に嫌がることなのです。
しかし、それは一瞬の苦痛です。
なぜなら、新しい世界に一旦住めば、いずれその環境に再び適応していくからです。そうなれば苦痛はもうない。
むしろ、新しい世界での刺激と興奮を楽しむことすらできます。
先ほど述べたように、新しい世界を作るには、今いる世界を再定義するだけでも実は充分なのです。
あなたはどうしますか?
一瞬苦痛を伴うかも知れない新しい世界に踏み込むことをためらって、ずっと苦しむことを望むのか。
人としてもっと、大きく成長していきたいと望むのか。
もし万が一、私のこの提案を聞き入れて下さる方がいて、何となく苦しい、悩んでいた療法士が自身の世界を再定義し、新しい世界を見つけることができたら・・・。
不安に生活を支配され、悩んでいた療法士が、またリハビリの臨床を初めの頃の様に楽しめるようになったら・・・。
それは広義の「リハビリ治療」ではないでしょうか。
新しい世界を提示し、可能性を示唆し、あなたはもっとできると励まし、以前の不活な生活から、活き活きと日々が送れるようになる。
これは立派なリハビリの治療だと私は思うのですが、いかがでしょうか。
ぜひ、今いる窮屈な世界を再定義し、新しい世界を見ようとしてみて下さい。
自分の可能性を信じ、自身の成長を期待してチャレンジする。
過去に体験した、そんな輝かしい経験を未来に再現するのです。
それは、あなたがまた、このリハビリの場において再び輝きを取り戻す唯一の方法だと私は信じています。