
アニメなんかを見ていると「前を向きなさい!」というようなセリフがよく聞かれますよね。
苦境に立たされていた主人公はそれを聞いて、スッと顔を上げ、また自分の理想の世界に向けて力強く走り出していく・・。
でも本当は、前だけを見ていては理想の世界に到達することはかなり難しいです。
なぜか?
あまりにも成長が遅いからです。
アニメに共通するストーリーから学ぶ真実
ドラマやアニメ、広いところで云えば宗教もそうですが、大衆から共感を得る物語やストーリーっていうのは大枠で似ていると思っています。
その中で先ほどの「逆境に立たされた人が再び前を向いて進む」という描写が良く使われています。
で、見ている人は自身の生活とアニメの主人公を重ね合わせて、感情移入し「明日からは私も逆境に負けず前を向いて歩いていこう!」なんて何となく思うわけです。
励まされた、勇気を貰ったと感じる。
でも、よくその背景を見てみると、前を向いて歩き出す前に、ほとんど必ずと言って良いほど強大な敵などの障壁が描かれています。
「もう主人公はだめかもしれない、負けてしまうかもしれない・・・!」
見ている人はゴクリと固唾を飲み込んで、食い入るように見入ってしまいます。
こうやって、見ている人はどんどんそのアニメの世界にのめり込み、感情移入していく訳です。
この時、アニメの中の主人公は、前を向けない環境・状況に陥っています。
今までにないような強敵や絶望的な壁、そういったものに邪魔されて、
- 「前が見えない」
- 「前に進みたくても進めない」
そういう葛藤がある状況になっている。
この時、主人公は一体どうしているのか?
どこを見ているのか?
恐らく前ではなく、一旦敵から目を離し、左右や周りを見渡しているはずです。
物理的にだけでなく、強敵に打ち勝つために、仲間のつながりだとか、自分に必要ないと思っていた人の意見だとか、一旦そちらに目を逸らす必要がある。
そして様々な要素に思いを巡らし、自身が今まで前しか見ていなかったために目に入っていなかったもので、自身の力として使えるものがないかを再び確認する。
やがて、今まで無意味だと思って見向きもしなかった事象に目を向け始め、それらが実は自身が前に進むために必要なことだと再認識します。
そして、悟ります。
「自分は目の前にいる強大な敵を倒せる力がある。」
つまり、前に進んでいくためには前ばかりを見ていてはダメで、特にピンチの時には、物理的にだけでなく、概念として横や周りをぐるっと見渡すことが必要だということです。
こういったストーリーを描いている物語やアニメは非常に多いです。
そして皆の共感を得て、人気があることが多い。
そもそも、敵は本当に強大なのか?
ここで、私がひとつ気になることは、実は目の前の「強大な敵」は、それ程大した敵ではなかったのかもしれない、という事です。
- 実は「強大だ、強い」そう見えていただけ。
- 勝手に思い込んでいただけ。
ではないかと思うのです。
ドラゴボールで云えばピッコロ大魔王は、敵として描かれている時は強大で邪悪です。
とても孫悟空には勝てないと思う。
でも仲間の力や自身の気付きによって、相乗効果を生み出し、苦戦しながらでも倒してしまう。
ピッコロは、孫悟空に打ち負かされた後、仲間になって以降はあまり強いキャラとして描かれていません。
私は、実際のピッコロの実力は後者だったのではないか、と思うのです。
人は思い込みで本当の力を出せなくなる
では、初めて遭遇した時になぜ孫悟空はピッコロのことを「強大で邪悪」だと思ったのか。
とても勝てないと思ったのか。
それは実は、自身の思い込みでしかなかったのではないかと思っています。
あるいは、あまりにも視野が狭かったため、自身の本当の力(もちろん仲間の力も含みます)に気づいていなかったのではないか?と思うのです。
前ばかりを見ていて、横にいつもいた仲間を見ていなかった。その力に気付いていなかった。
本当は役立つアドイスをしてくれていたライバルの意見を「自分には関係ない」と思って受け入れることを拒否していた。
そこにさえ気づいていれば、本当は元から楽勝で勝てたのではないか?
決してピッコロは強い敵ではなかったのではないか?
そんな疑問が湧いてくるのです。
自身の最大の敵はピッコロ大魔王などではなく、自身の中の思い込みと視野の狭さだったのかもしれない。
こういったことはアニメだけでなく、あらゆる場所や分野で言われていたりします。
「道で仏に会えば仏を倒せ」
例えば、禅の世界では「道で仏に会えば仏を倒せ」という言葉があります。
これは、自身の最大の、一番やっかいな敵は自分である。
自分が勝手に作り上げた偽物の仏(=思い込み)である。
だから、自身の道(この場合は禅の道です。)の上を歩いていて、そんなものに遭遇したのなら、すぐさまに倒せ。
偽物に違いないのだから。
そういう意味です。
前を向いて縦に積み重ねるだけでは、絶望的に成長は遅い。
横を向く重要性について、もう少し具体的に例を出して説明していきます。
私達専門職は、
「いつでも前を向いて、縦に自身の学問を積み重ねていくものだ」
そう思っている人も多いかもしれません。
でも、実際は、横にも視点を広げていかないと、いつか前に進む事ができなくなる時が来ます。
縦だけだと限界を感じる時が来ます。
少し伝わりにくいかもしれません。
この概念をExcelの図を使って分かりやすく説明してみます。
これがひたすら前を向き、縦にのみ勉強を重ねた場合です。

1から5まで、真っ直ぐ縦に、前だけを見て積み上げてきたあなたの総合力は「5」になります。
5まで進んで来たあなたは、何かしらの障害や壁にぶち当たった、とします。
そして、先ほどのアニメの例のように、横に目を向ける。
総合力5しかなかったあなたが、横に目を向けて、Aの列からB列に1列だけ移動すると、一気に総合力は10になります。
倍です。
これで、今まで乗り越えることができなかった壁や障害を乗り越えることができるようになります。
そこからさらに、視野を広げたまま、また前を向いて成長していくと、一つの視点しか持てないAの列だけで縦に成長している人に比べて、総合力は倍のままです。
縦に積み重ねた人は総合力10、横に視点を広げたあなたの総合力は20です。
この成長方法の利点は、ひたすら前を向いて縦に積み重ねる人が足し算で成長していくのに対して、横に視点を増やせば増やすだけ、掛け算で総合力が上がっていくことです。
縦に積み重ねることしかできない人が1総合力を増やしている間に、あなたは横に視点を広げる。
そうすると、あなたは2の力を得ることができる。
これを積み重ねていくと、やがてとても追いつけない程に差が開いてきます。
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何を学ぶかはあなたの感覚が決める
縦は職業として解剖学、運動学など最低限学ばなければならない事、横方向は何の学問を学ぼうが自由です。
できればあなたの好きなこと、興味があることが良いです。
その方が無理な背伸びを強要されることもなく、大地に根を張る樹が横に枝を伸ばしていき、太陽の光をより多く浴びようとするように、自然に世界が広がっていく。
無理に手入れされた盆栽は、枝を自然に伸ばしたい方向に伸ばすことができないため、酷く窮屈です。
横に枝を伸ばす方向性は、経済学でも哲学でも心理学、武道、芸術だって構いません。
全くの自由です。
何でも良いんです。
あなたが好きなものを誰にも遠慮することなく選べば良いのです。
そして、それが何よりベストの選択です。
できればあなたの感覚や直感、気持ちを優先して下さい。
自身の心の声を聴いて下さい。
あなたの心は何を選べばあなたが一番良く成長するのか、知っているはずです。
そして、ぜひ楽しみながら、一つと言わず、二つも三つも勉強する範囲を広げてみて下さい。
先ほどのExcelの例で言うと、Aの列だけだったのがB列、C列、D列と横にできるだけ広げていって下さい。
そうすると、3倍、4倍、5倍と総合力が増していきます。
このExcelの緑の範囲を「総合力」と表現しましたが、実際はあなたが認知している世界の広さのことです。
自身の世界の広さがセラピストの総合力なのです。
苦しい、辛い。
あなたがピンチの時、ぜひ横を見てみて下さい。
視点を広げて、あなたの世界を好きな方向に、心が望む様に大きく広げてみて下さい。
初めは小さいシミのような点であったあなたの力は、
縦に積み重ねていくことで線となり、視点を広げ、横にも成長していくことで、面となっていきます。
より重厚な世界になって行きます。
前ばかり見ていないで、あなたが飛躍的に大きく成長するために、そろそろ横を向く時期かもしれません。
まとめ
京都に大雪山龍安寺という石庭で有名な禅寺があります。
その裏手には「我唯足知(我唯足るを知る)」と書かれたつくばい(水を入れておく石のこと)があります。
これは、幸せとは、自身の持っているものを知ることを示唆していると言われています。
無いものに執着し、不幸を嘆くよりも、自身の持っているものを再認識し、幸せになる。
いわば、現状肯定のための言葉だと捉えられがちです。
「あなたは今でも充分幸せなのですよ。それに気付きなさい」
そういう意味に取られることがほとんどです。
でも私は、この言葉は、人の強力な成長を促すための言葉としても解釈できるなぁ、と思っています。
「我唯足知」
自身の持っているリソース(資源)を今一度確認しなさい。
それがあなたの本来持っている力です。
その力を使ってあなたの前に立ちはだかる壁を打ち砕きなさい。
そして前に進みなさい。
そういう意味にも解釈できます。
さらにもっと禅について勉強し、深く考えてみると、
「我唯足知」の本意は、以下のようであると私には感じられました。
「あなたは既に充分足りていることを知りなさい。
本当は、あなたが勝手に自身で壁を、障害を、敵を作っている。
本来はそんなものはどこにもない、存在しない。
なぜなら、あなたにはもう既に全てを克服する充分な力が与えられているのだから。
我執を無くし、視野を広げ、大きな世界を見ようとすることで、あなたはその事実を再び発見することができる。
そのことに気づけば、あなたの前には、もはや敵らしい敵はいないし、障害らしい障害は存在しない。
そうすれば、あなたは今すぐにでも、いつでも自由に、望む様に幸せになれる。」
※我執(がしゅう)=自分だけの小さい世界に囚われて、それから離れられないこと。