
「生き残る療法士になれ」このような言葉が業界内で良く聞かれるようになりました。しかし、この言葉は同時に「生き残れない療法士を作れ」と言っているに等しく、私はあまり積極的に使うべき言葉ではないと思っています。
狭い業界で、不安に駆られたもの同士が、少ない給料と休日を勉強会に削って競争を始める・・。
生き残ったところで給料が上がる訳でもなく、その先には生き残った者同士での更に熾烈な競争が待っています。
延々と競争を続ける・・まるで血で血を洗う戦国時代のような業界が誕生します。
お金が尽きたり、身体を壊して勉強会に行けなくなると、途端にドロップアウト。
そんな世界を望んでいる人が果たして本当にいるのでしょうか?
それが果たして健全な業界の姿でしょうか。
業界の空気感が将来の業界を作るという事実
現実を作るのは、その時代の「空気感」です。
リーマンショックしかり、オイルショックしかり・・。
決してオカルトの話ではなく、人々が信じる想いが集合して、
その想いが強力であればあるほど、強い力を持ってその状態を現実世界に作り出します。
これは行動経済学で証明されている科学的事実でもあります。
その想いの種類は、希望や夢などのポジティブなものもあれば、
不安や恐れを核としたネガティブなものもあります。
冒頭のリハビリ業界の生き残り競争の核にある想いとは何でしょうか?
私は恐らく”不安”や”恐れ”だと思います。ネガティブなものを感じずにはおれません。
「不安」を中心に形成されていくリハ業界
給料も右肩下がりで下がっている、一方で療法士は増え続けている。
自分は「生き残れるの?」そう思って、
高額な勉強会に平均給料390万円(地方ではもっと少ないでしょう。)の世界で少ない給料と休日を削って参加する。
勉強会やセミナーを開催する側も、自身が生き残るために勉強会を開催しておりその核にあるのは”不安”です。
そして不安を煽って集客する。
受講者も、リハビリの本質的なところは理解できず小手先のテクニックや治療技術を有り難がって、受動的に教わる。
しかし、本質が理解できていないために、決して臨床で活かすことはできない。
そしてまた「勉強が足りない!」と思い込んで(あるいは他の人にそう言われて)再び似たような高額なセミナーに参加する。
しかし、そうして参加したセミナーでも、一番知りたい本質的なところは
「すぐに理解できるものではない」とか「経験を積むしかない」
と言って隠されている。(意図的ではないかもしれませんが。)
そんなことを繰り返している。
受講者はただ、
「もっと患者の役に立てるセラピストになりたい」
「家族に胸を張って自身の仕事を誇りたい」
そういった純粋な気持ちを持っている。
この不毛な連鎖が不安や苦しみ、悩みでなくて一体何になるのでしょうか?
違った視点での業界の生き残り方を提案しているセラピスト
でも実際は、色んな方法で生き残ることができます。
勉強会に行って、誰よりもたくさん知識を得て、治療技術を磨くことだけが生き残る方法ではありません。
その中でも、かなり現実的に世相を反映し、
明らかに時代にマッチした独創的な生き残り方を
提案しているセラピストが運営するブログがあります。
対談者紹介

「このままで良いのか理学療法士!?厳しい生存競争を生き残り、選ばれる存在になる人が読むブログ」
過去にプロスノーボーダーを目指していたというkooさん。
ぜひブログを読んでみて下さい。
できればブログ記事末尾の無料のメルマガも登録して下さい。
私は速攻しましたよ。
より深い内容を具体的に理解することができます。本当におすすめです。
サブタイトルに「理学療法士に未来はあるのか?」とあり、私のブログとテーマが被っていますね。笑
それだけでも惹かれたのですが、少し読んでみると、非常に奥が深い内容で驚きました。
私は大抵の療法士のブログをチェックしていますが、こういった考え、世界観を打ち出している療法士はいないと思います。
私が冒頭で述べた療法士の生き残り方では、「患者もセラピストも非常にしんどい、きつい」未来が待っていることが簡単に想像できますよね。
しかし、この方の提案している方法で生き残るなら、「患者もセラピストもハッピー」になれると確信しています。
あなたが普段臨床で感じている、何か違うという「違和感」、出口の見えない「不安」。
その正体がこのブログにははっきりと言語化されて書かれています。
そして答えを提示しています。
本当に少しだけでも良いのでぜひ読んでみて下さい!
自身の世界が大きく広がるのを感じるはずです。
kooさんの説くリハビリの本質~まずは患者と関係性を築くことの重要性~

kooさんとの対談をご紹介する前に、リハビリにおける患者との関係性の重要性について、具体的に実例でご紹介します。
私はkooさんのブログにすっかり引き込まれ、穴が空くほど読み、自身が今担当しているケースの方との関係性が適切であるのか、振り返って考えてみました。
私が今担当している患者は、ある宗教に傾倒されています。私自身は先祖代々仏教です。
その方と1か月程度リハビリをしていると、その方の感じ方や考え方の根底に、その宗教の影響が多分にあることに私は薄々気付いていました。
しかし、私はあくまでリハビリの勉強ばかりしていました。
「この方を良くするには、どうすれば良いのか?」
両膝OAの疼痛が強い方なので、疼痛について調べたり、緩和するための治療を試みたりしていました。
でも、kooさんのブログを拝見し、私のそもそもの関わり方が何か違うのではないか?
そういった感覚が強くなりました。
「宗教なんてリハビリに関係にない」そして、「宗教なんて胡散臭い」
そういった想いが私にあったのではないか?そう感じました。
私は患者さんの前で、言葉や態度では宗教のことを批判することは絶対にありませんでしたが、無意識下では否定していたのではないか?
そして、それを患者さんも何となく感じているのではないか?
だから、思うようにリハビリが上手く進まないのではないか?
私はそう思い、その宗教の理念を一生懸命勉強しました。
決してその宗教に入信するためではありません。
(入信はしない、と患者にも伝えていますし、実際していません。)
宗教を勉強し、知ることで、その患者のことをもっと良く知れるかもしれない、
知りたい、と強く思ったからです。
そして、リハビリの時に、お互いにその宗教について熱く語りました。
スラスラと理念を語り、その理念を今の世の中にどう活かしていけば良いと思うのか、
自分の考えも追加して述べました。
そうすると、みるみる患者の表情が変わっていくのです。
その方の身体を私がいつもの様に触って、治療をしながら話をしていると、とうとう患者は泣き始めました。
「あなたは私のことを心から理解しようとしてくれた。それが何より嬉しい・・・」
そう言いました。
そして「私は歩けます。いや、先生には歩いて見せます。見て下さい。」と言い、先ほどまで泣き崩れていた顔が、きりっと奮い立った表情になりました。
今までリハをしていて、こんな表情は他の患者でも見たことはありません。
言葉での表現は難しいのですが、「強い意思が表情に宿った」という感じでしょうか。
とにかく「力強い顔」でした。
病気や痛み、そんなものに悩む人の苦悩の顔ではない。
人として主体的に生きる強い意思を持つ存在。
そんな表情です。
そして、全身を震わせながら、でも表情は変わらず、歩行器でたったの2.3歩ですが、歩いてくれたのです。
それを見ていたご主人も「半年ぶりに歩けた!」と言って涙されていました。
私ももらい泣きしそうになりましたね。嬉しくて。
やっと、長年求めていた「リハビリらしいリハビリ」ができた、そう思いました。
そう感じました。
半年間、色んなセラピストが介入していましたが、膝の痛みが強く、ほとんど寝たきりだった患者さん。
実際はたった2.3歩歩けただけです。
歩行の実用性や耐久性、疼痛の対応など、ほかにも考えなければならないことはたくさんありますが、
今後、確実に何か変わっていきそうな気がしています。
今回のケースでは、決して治療内容が大きく変化したわけではないのです。
関係性にアプローチするというkooさんが提唱している視点を持てただけで大きく何かが変わったことを体験しました。
実際に、そういった患者との関係性の重要性をブログの中で説いておられるのがkooさんです。
どうすればこの先、療法士として生き残ることができるのか?
私はkooさんとの対談で、これからのセラピストの将来に不安を抱えている人が少しでも救われれば、と思っています。
何かそういった方にアドバイスを頂けませんか?
どうすれば、この先希望を持って進んでいけると思われますか?
時代の流れに翻弄されない、リハビリの本質について、kooさんの考えを教えて下さい。
まず重要なのは、「関係性」ですね。
そこからしか何も始まらないのです。
いくら素晴らしいテクニックや技術を持っていても、
相手に受け入れてもらうことができない限り、それは意味のないものになってしまいます。
ただのセラピストの自己満足な世界の押し付けでしかないのです。
どこまでも創造的な職業だと思います。
ゆえに、
- 目の前の患者さんや利用者さんと何を創造できるのか?
そのためには、まずは “つながり” 、『調和』できないことには何も創造できないですから。
テクニックや技術などで武装するのではなく、
武装解除した状態で目の前の相手といかに深くつながることができるのか?
それが重要だと思います。
それこそが、人間力であり、 セラピスト自身の本質力だと思うのです。
そこを高めていくことこそが、健全的な生き方であり、 セラピストとしての在り方だと思うのです。
この価値観を誰かに押し付けるという意図は全くありません。
より良い社会、より良いリハを提供しようと思ったら、
必然的に、こういった方向性になる、ということを発信しているのです。
もちろん受け入れられない人も多く存在するでしょう。
それは、それで良いと思うのです。 選ぶのは、私たちセラピストではないのですから。
患者さんや利用者さんなのです。
選ばれる存在、生き残るセラピストになろうと思ったら、 この方向性になる。
そう思っています。
時代の流れが、『調和』だからです。
男性性ゴリゴリの、テクニックや技術で関係する時代は終わったのです。
そのようなものはもう求められていないのです。
理学療法士の世界に置き換えて、持論を展開している。
そういうことなのです。
抽象度を自由に行き来させることができないセラピストには理解することはできません。
世界を広げる必要がありますよね? でも、それはこちらが介入できる問題ではないのです。
セラピスト自身が気付かなければいけないことなのです。
自分自身で気づき、行動する。
それなくしては、何も変わらないのです。
どうすれば、この先希望を持って進んでいけるのか?
時代に、情報に翻弄されない本質を掴むにはどうしたらよいのか?
この問いに対して思うのは、『軸』を身につけること。
そこに集約されると思います。
「軸」とは、この先変化していくであろう周りの環境に合わせて
自身がセラピストとして変化・成長していくための方向性を決める核になるもの、という認識で良いのでしょうか?
人間というのは、関係性の生き物ですよね?
何か固有の存在ではない。色んな情報の集合体なわけです。
ゆえに、関係性を最適に構築するには、『軸』がないと適切な距離感がつかめない。
身体的な、物理的な『軸』を身につけることで、それは身体だけではなく、自分の外側にも影響を与えることになります。
精神的な側面にも、『軸』の効果が波及するのです
なぜ不安になるのか?
自分自身を見失う 自分自身が揺らぐ こういったこと
言い換えると『軸』を失い、軸がブレるからですよね?
『軸』なき存在で生きているから、自分の立ち位置が分からない。
あらゆる情報に流され、地に足が着かずにフワフワしている。
そんな状態だから、様々な事象と距離感がつかめないのです。
自分が分からない。
『軸』不在で生きているがゆえの問題です。
こういったことを踏まえて、西野さんのおっしゃられている『軸』というのは、
『軸』の一部であり、表面的な部分を捉えたものになります。
私が『軸』と表現しているのは、もっと高い抽象度での『軸』を指して使っています。




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具体的な答えをすぐに求めるから変われない



実際は生き残るも何もない、それぞれが自分の道を見つけられるかどうか

実は患者が求めているのはテクニックや技術ではない

- 自分自身の世界を広げてほしい。
- 可能性や能力をみてみたい。
- 自分に共感して欲しい。
- 自分自身を受け入れて欲しい。
ってことなんです。
だから、両者の間に溝や壁がある。 一方通行なんですよね。
両想いになれない。

具体的なものを求める、だからそれを差し出す。
その結果どうなりましたか? 考えなくなるわけです。
その結果が、いまの世界ではないでしょうか?
本当に、業界で悩める人が多くて、そういった人に道を示すなら、
答えを提示するのではなく、 新しい視点を提示して、自分自身で考える力を身につけることことが、健全ではないかと私は思うのです。
だから、コミュニティでは様々なテクニックや技術も伝えていきます。
それは、テクニックや技術ありきではない、
という世界を提示して、大事なものを伝えた後、
そこからさらに進んでいきたいと思う人に、道を開いているわけです。
そういったプロセスこそが悩める、違和感を感じながら生きてきたセラピストに示すべきものだと確信しているからです。

一つ思うのは、業界の中に入り込み過ぎているから、不安になるということです。
私は特殊なスタンスでPTをやっています。
軽く片足を踏み入れている程度で、いつでも抜けようと思えば、抜け出せるポジションでPTをやっています。
何が言いたいのかというと、井の中の蛙大海を知らず、という言葉がありますよね。
異世界と交わってみる。 それがあまりにも欠けているのです。
どうすれば希望を持って進めるのか?

それは、感性が閉じているから、不感症だからです。
感性を開く、そのための方法はたくさんあります。
でも、そういった具体的なものを本質を理解しないまま提示しても、
それはその人のためにはならない。 余計、混乱を招くのです。
情報は与えすぎてはいけないのです。 情報が増え過ぎたら、考えられなくなる。 そういった特性があるのですから。

リハビリの本質はやはり「感覚」にある
リハビリの本質を理解するには、再び人との関係性や感覚にフォーカスする必要があるということですね。
はい。
そのためにはまず、自分の感覚が正しいのかどうか?それを確かめなければなりません。
でなければそれはただの妄想になってしまいます。
自身の内部の感覚を現実世界で検証するには、自分自身の身体で検証してみると良いのです。
結局、固定概念や思い込みに支配されています。
そこを破壊して、自由を手に入れるためには、
新たな概念を取り入れて、新たなシステムに再構築していく必要があります。
具体的には、ここの関節は運動学的にはこういう運動しかできないけど、
武道や武術の達人や、トップアスリートを観察すると、
運動学的な関節運動とは異なる使い方をしている。
そこで、固定概念が壊されるわけです。
で、そこで終わりにするのではなく、自分自身の身体で体験してみるのです。
できなくても、できるようになるまでやってみる。
その結果、腑に落ちるわけです。 こういう身体使いができるのか、と。
この段階までくると、これまでの固定概念や思い込みは外れています。
と同時に新たなシステムが構築されているのです。
こうやって、どんどん固定概念を外して、世界を広げていくことで
可能性や能力が引き出されるのです。
リハビリでも同じですよね?
ここは、こういう使い方しかできない。
これ以上は、体重をかけれない。
色んな固定概念や先入観、思い込みがある。 そこを破壊する。
できることを体験させる。
できる領域を広げる。
その結果、固定概念や先入観、思い込みが外れる。
これまでできなかった動きができたり、 パフォーマンスが上がる。
私は、メルマガにも書いたようにプロスノーボーダーを目指していました。
その取り組みの中で、色んな試行錯誤を繰り返してきたわけです。
身体で考え続けてきた。
そういった背景があるのです。
どこかから、パクってきた情報を提供しているわけではない。
だからこそ、私の書いている言葉には、様々な情報が凝縮されているのです。
一つ一つの言葉には、エネルギーがこもっている。
そういったものって、目には見えないけど、人間は汲み取れるのです。
言葉だけでの説明ですが
これが実際お会いして、体験やデモをみれば、よりインパクトのある体験ができますよ。
固定概念や思い込みが、たくさん破壊されるはずです。
それを人生をかけて、私はやってきましたから。
専門職のプライドが視野を狭めている?
少し話は変わりますが、「これが我々の仕事だ、専門性だ!専門職だ!」というような硬いマインドのブロック(専門職のプライドとも言えるかもしれません)。
これがkooさんのおっしゃる、あらゆる提言の大きな障壁になっているような気がしています。感覚を取り戻すことを阻害しているというか。
違和感を感じても、感じることを意識が拒否するというか・・・。
肩に力が入って視野が狭くなる状態。
私たちの世界以外は関係ない、見る気もない、見る必要もない。
なぜなら私たちは専門家だから!というような。。
このブロックを築くことが旧来の専門性を構築すること、
という認識であり、実習生にもこのようなことを教える療法士は今でも後を絶たないと思います。
どうすれば、このブロックを外して肩の力が抜けるとお考えでしょうか。
私は何が正しくて、何が間違っている、というのはないと思っています。
そういう人の価値観は、こうである。
ただ、それしか思わないです。
西野さんは専門職のプライドのなにが問題だと思われているのですか?
専門的な方向性に進んでしまうために偏りが大きくなる、ということですか?
おっしゃるとおり、専門的な方向性に進んでしまうために偏りが大きくなる、
ということと、他に注意が向きにくくなる、ということが気になります。
心理学でアイデンティティという言葉がありますが、
他者をはっきり認識することで、その差分を掴み、自身を知ることができる。
つまり、他者を知ること=自分を知ることだと思います。
なのに、あまりにも外に目が向いていない人が多いと感じずにはおれません。
果たして、外の世界を充分考慮した上で、比較して「専門性」という言葉を使っているのか?
そうではないように思います。
無条件でこれが専門性だ!と思い込みを主張しているというか・・
そして、それを疑いもなく下の子たちに教えるというような。
kooさんが提示しているような新しい価値観に基づく業界・世界観を作っていくには、この旧世代のメンタルのブロックを壊していく必要がある、と思っていたのですが、これは私の思い込みでしょうか?
古い世界観をどのように対処していくと良いのでしょうか。
偏るがために、盲点をつくり出してしまう。
盲点を拡げすぎなんですね。 勝手にそう思い込んでいる。
様々な視点からモノゴトをみた上で、そう主張しているのではなく、狭く偏った視点でしかモノゴトをみれない。
旧世代のメンタルブロックという概念は、私の中にはないですが、
新たな世代?は、PTという枠を超えて独立したり、自分で事業を起こしたりしていますよね。
その流れを旧世代?の業界は、嫌っていませんかね?
専門理学療法士とか、よく分からない資格とか取らせて、
囲い込み?縛り付け?をしているじゃないですか。
それは意味のないことですよね。 業界が健全化するには、循環が必要です。
独立や、事業を起こすセラピストの行動が十分、
業界の健全化には、大きな影響を与えていると思います。
人間は基本的には事象をちゃんと認識するためには視野を狭める必要があると思っています。
フォーカス(焦点を絞る)するためには、余分なものを排除しなければならない。
でも、実は余分なものなんてなくて、逆にそれが足カセになっている。
そんな状態があるように思います。
まとめ
少し小難しい話が多かったかもしれませんが
kooさんはリハビリのかなり本質的なところを解説して下さっていると思います。
今回の対談はめちゃくちゃインパクトがありました。
衝撃でしたね、私の中では。価値観がひっくり返る経験でした。
実際に冒頭でケースを紹介したように、kooさんのアドバイスを元に臨床で試すと、明らかに即時的な効果がありましたからね。
下手な勉強会に行っても自己満足にしかなりませんが、関係性を見直すことで本当にリハは変わりますよ。
もっと深く関係性について、理解したいと思われる方は、ぜひお気軽に私でも、kooさんでもどちらでも結構ですので連絡を頂ければと思います。
kooさんはめちゃくちゃ優しい方ですし、関係性を大切にされているので、きっと丁寧に色々教えて下さるはずですよ。
もちろん私も同じで、色んな方とつながりを持てるのは非常にうれしいことです。
ご連絡お待ちしています。