様々なアルバイトを経験し、私はやはり「人と関わって、人の役に立てる、それが実感できる仕事がしたい!」と思うようになりました。
ひょんなことから理学療法士の存在を知り、専門学校に通い始めます。そして、無事免許を取得し、2011年より病院で働き始めました。
病院で「禅問答」?
入職当時、私は「新人指導」と呼ばれる理学療法士の教育方針にかなり悩まされました。
あまり詳しく書かなくても、恐らく皆さんお分かりですよね。
独特の指導方法がこの業界では横行しています。
当時、新人指導は何を教えれば良いのか、どこをゴールにすれば良いのか、すべて個人の指導者に一任されていました。実習も基本的にそうでした。ですから、指導者と相性が合わなければ、本当に可笑しいくらいボタンを掛け違えたようなことが頻発します。まともに意志疎通ができなくなります。
よくあったのが、指導者に自分の意見を求められるので忌憚なく申し上げると、「お前はおかしい、そんな考えで患者さんに接してもらっては困る」と言われ、意見を言わずにいると「お前は何も考えていない、本当にこの仕事に興味があるのか?ないなら辞めろ」みたいなことを毎日言われていました。
当時の私の日常がよくわかるエピソードを思い出しました。
ある日、指導者に呼び出され、「お前、広背筋触れるか?」と言われました。表在の筋肉だし、学生時代にMMTで勉強したところなので「はい、触れます。」と答え、実際に指導者の背中を触りました。「お前、それが広背筋だって何で分かるの?分かったつもりすんな!」と言われました。私は「教科書に載っているし、MMTの時に学校で習ったからです」と言いました。「教科書に載ってたら正しいのか?よく考えろ!」と指導者は怒って去って行ってしまいました。もう、私は体全体が?マークになっていました。何を言っているのか、さっぱりわかりません。ある意味衝撃的で、禅問答でもしているのかと本気で思いました。
「広背筋とは宇宙です!触ることは人間には叶いません!」と答えれば正解だったのでしょうか?みなさん正解がわかりますか?
ちなみに、私は2年ほど考え続け、恐らく正解であっただろう、という答えが分かりました。多分、「教科書で調べた知識を、臨床に活かせるように先輩に確認しろ」と言いたかったのだと思います。なぜそれを普通に言わないのかという疑問は未だに解明されていませんが・・・
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私はその後、あることに気づき、無事「毎日、病院で禅問答」状態から抜け出すことができました。
それは禅の心を理解したから(笑)でもなく、指導者は何を見ているかに気付いたからです。
指導者は被指導者の「雰囲気」を見ているのです。逆にそれしか見ていないし、見れていないです。
禅問答指導から抜け出す秘訣・・・「雰囲気」とは?
雰囲気とは「総合力」のことです。つまり、リハビリの知識よりも、話し方、顔つき、体格、表情など、その人自身が発する情報全てです。それを指導者は総合して評価しています。むしろ、リハビリの知識はなくて当然であり、指導される側からしたら気になるところですが、全く無視して問題ありません。わからないものは間髪入れずにわからないと言いましょう。
今、指導を受けて指導者とうまくいかず、苦しんでいる方は、好感を与える話し方、笑顔にまずは気を付けてみて下さい。少しづつ関係が変わってくるはずですよ。
それを理解すれば、反抗的な態度を取ったり、自分の意見を通そうと意地を張ることは愚策でしかないことが分かると思います。聞こえてきそうな意見は「何であんな人(指導者)に合わせてへらへら笑わないといけないんだ!」とか、「あの人すぐ怒るから怖くてもう笑顔も作れません・・」かな。
これも簡単に解決できます。「相手の為に」って勝手に思い込んでいるからそう思うのです。「自分の為に」総合力を上げて下さい。
「雰囲気」ってかなり大事で、実はこの指導とかの問題以上に人生のあらゆるところでこの「雰囲気」力が影響しています。サブプライムローン問題によるリーマンショックも実はこの「雰囲気」が引き金になっているし、(詳しく聞きたい方はお問い合わせorコメント欄からどうぞ。暇なのでお答えしますよ。)大きなところでは、ビジネスやマーケティング、個人レベルではモテるためのテクニックにも活かせます。
これは時間軸で言うと今現在の話ですが、今後間違いなくもっと雰囲気とは何かを理解して、個人が(あなたが、と言い換えても良い)具体的に人生戦略に取り入れることがより大切になってきます。
重ねて言いますが「雰囲気」って、めちゃくちゃ大事で、実力って何?、運って何?って言われたら「雰囲気=総合力」だと思ってほぼ間違いありません。
だから、酷い指導者に当たった時は、「雰囲気」力を向上させるためのいい機会だと捉えて下さい。自分の今後の為に。正直、実際に教えてもらうリハビリの知識も大切ですが、そうやって「陰で」勉強になることの方が応用範囲が広く、人生で大切なものが多いのです。なぜなら、その陰にこそ物事の本質が隠されていることが多いからです。
これは、私の「始まりの物語」全てに共通するテーマでもありますが。