
自己紹介記事1「ベルトコンベアーちょこん。」の続きです。
他にも、ある有名な超高級ホテルで、ベッドメイキングのアルバイトをしていたこともあります。
働くまで知らなかったのですが、ホテルって外国人の方が多く働いています。
そこのホテルは海外のお金持ちが日本に来た際に泊まるホテルだったため、英語が喋れる外国人労働者は重宝されていました。
清掃の仕事のためか、日本人の50歳位の女性も沢山いて、それぞれコミュニティがあり、派閥を形成していました。
仕事が始まると、皆ホテルの地下の控室に待機しています。
ペタペタペタ・・・ペタペタ・・・の恐怖
女性はいわゆるメイド服が制服で支給されています。メイド服を着たおばちゃん達が暗い地下の食堂で、お互いの派閥の悪口をコソコソ言い合いながら待機しているわけです。
まぁ、現世ではなかなか拝めない異様な光景です。
ベッドメイキングは、お客さんがチェックアウトした朝が勝負です。急いで次のお客さんを迎える準備をしなければなりません。
おばちゃんメイド服達が、我先にと地上に上がるためのエレベーターに乗り込み、高級ホテルの光り輝く廊下で、清掃用具満載の台車をレースの様に押し合いながら各部屋に吸い込まれていきます。
この仕事は何よりスピードと掃除の正確性が要求されます。髪の毛一つでも部屋に落ちていると、昔のいわゆる姑みたいなチーフがやってきて(この方も女性50歳代位です。)
「これは何!?やり直しなさい!」と怒られます。
ドラマでしか見たことがないような、「人差し指で埃を取って眺める」というザ・鬼姑チェックを本気で真顔でしに来るのです。
髪の毛が床に1本たりとも落ちていると、もうアウトです。
なので、ガムテープの粘着面が下になる様に両手の手のひらに巻き、四つ這いになり、部屋の奥の方から床にペタペタしながら、後ろ向きに部屋を出る、といったことが仕上げ作業としてありました。
朝のチェックアウト時間の後、各部屋から、髪の毛をふりみだし、厚化粧が無茶苦茶に崩れた、鼻息の荒いおばちゃんメイド服達が、四つ這いになって「ペタペタペタ‥‥ペタペタ‥‥」と部屋から後ろ向きに出てくるのです。
まるでホラー映画です。貞子も真っ青の恐怖です。
すぐに戦争に行くインドネシア人
そこではインドネシアバリ島出身の外国人の友達も出来ました。
日本語がカタコトで、私は日本語を教えたりしていました。面白い子でした。
毎回清掃に行く前に控室で「清掃行ってきます」と皆んなに声掛けして行くことがルールだったのですが、その子はカタコトのため、毎回「センソウいってきまーす!」と言っていました。
確かにあの光景は戦争のようなものかもしれませんが‥
その子は、例えば空に浮かぶ雲と昆虫の蜘蛛の違いが喋っているだけでは分からない。「日本語はムズカシイ」と良く言っていました。
意味がちゃんと分からないのか、みんなで喋っていても明らかに作り笑いでした。
確かに英語では明確にそこらが区別されていて、日本語と違うところだなと思いました。例えば日常会話で「天才だね!」って言葉が出てきたら、その子には「天災だね!」って意味で伝わったりします。そりゃ??ってなりますよね。
ですから、「天才」の意味をこちらが噛み砕いて、違う平易な言葉で説明してあげる必要がありました。
もしくは英語で「genius」のことだよって説明してあげる必要がありました。
私はこのスピードと正確性が要求されるホテルの仕事で「労働における肉体の限界」を学びました。
自分の肉体と時間だけで、大きく成果や効率を変えることはとても難しいことが分かりました。
この問題に対する答えが’レバレッジ’なのですが‥‥当時は全く知りませんでした。
また、そのインドネシア人の友達から「概念を正確に捉え、相手に合わせて変換して伝える能力」について考えさせられました。
自分を知り、表現し、仕事を選ぶことの大切さ
その他にもたくさんアルバイトはしました。
コンビニ店員の時の逸話などもなかなか面白いのですが、それはまたの機会にしようと思います。長くなり過ぎて飽きられると嫌なので笑
私は様々なアルバイトを経験することにより、当初の目的「自分に合ったジャンルの仕事を探すこと」よりも、もっと本質的な、
「労働とその対価として支払われるお金の不釣り合いさ」と「そこで働く様々な人達の想い」に興味を抱き始めている自分に気が付きました。
人は大人になると必ず仕事(収入を生まない労働も含めて)をしています。これは世界共通で地球が生まれて以来、永劫的に当てはまる普遍的な事実です。
多くの人は仕事を自ら選び(もしくは選んでいると思い込み)、働きます。そして、多くの人はなにかしら自分の仕事に不満や違和感を抱いています。
でも、みんなそんな感じだからそれが仕事だよ、って思っている人が多いのではないでしょうか。
お金は簡単には稼げないよって。
私がアルバイト経験を通して見てきて人達は確かに精一杯頑張っていました。
しかし、本当に楽しんでいたのか、やりたいことをやっていたのか、と考えた時、それは違うのではないかと思わざるを得ません。
30歳代でギャルの格好をして、田舎の服屋ででひたすら服を畳む、アパレル業界の華やかさにいつまでも憧れている人。
40歳にもなってプライドをかなぐり捨てて、重たいベンチを灼熱の太陽の下運び続ける人。
カタコトの日本語を喋り、みんなの話についていけず、馴染みのない土地で孤独に働いている人。
みんな仕事を頑張ってそれなりに輝いていました。私は大好きでした。
でも、彼らがもっと輝ける場所が他にあったのではないか、今ではそう思えてなりません。
こんな素敵な人達は、もっと好きなことをして、楽をしてお金を稼いでもいいのではないかと私は思うのです。
人にはできないことで、彼らにしか作れない価値は他にあったのではないかと思えてならないのです。
仕事を選ぶ際、私も含めて余りにも人は無知過ぎると思います。
とりあえず‥とか、手に届く仕事で、楽で給料が良さそうな仕事ばかり選んでしまうのです。
それは環境次第では、選んだのではなく、「選ばされている」と言った方が適切な場合も多いです。
また、もう一つ彼らに共通することがあります。
それは「自分が何をしたくて、何に不満を持っているかを的確に表現できない」ということです。
人は気持ちや概念を言語化することで他人と気持ちを共有することができます。
しかし、彼らは上手にそれができません。
だから、不自然に服装を含めて見た目を着飾ってみたり、何となくで苦労する仕事を選んでしまうのではないかと思うのです。
私が見てきた人達は、自分を分かってあげること、そしてそれを人に伝えることが圧倒的にできない人が多かった。
仕事は≒人生と言っても過言ではありません。人生の大半の時間を注ぎ込み、毎日一生懸命取り組むものです。
環境や仕事が人を作ります。
どんなに才能があって、やる気のある人でも毎日ひどい職場で無意味なことをやっていたら、あっという間にくたびれて才能を発揮できずに終わるでしょう。
そんな悲しいことが日本中の至るところで実はひっそりと起きているのではないでしょうか?
- 「自分のことをもっと分かってあげるべきではないか?そして周りの人にちゃんと自分というものを伝えるべきではないか?」
- 「本当はもっと仕事を慎重に選ぶべきではないか?」
私のキャリアに対する考察は、この問いから始まったのです。