
ひと昔前までは社会的には他者と競争して勝ち残ることが良しとされていましたが、現代ではそれはもう昔の風習で、むしろ逆に競争などしない生き方をおすすめしたいと思います。
競争するしかなかった時代
同じ方向を向いて、みなで一つのものを目指す時代。価値観もみな統一されるべく定例的な教育がなされ、同じ思考体系や価値観を持った人間がたくさんいる。
そういった時代に生きた人には人生で競争することが運命づけられていたと言っても良いと思います。
しかし、現代での学校教育の内容はさほど変わっていないとは言え、早い人では中学生頃からTwitterやFacebookなどのSNSでひと昔とはけた違いの量の人それぞれの多様な価値観に触れています。
現代はもはや、教育機関や家庭、親戚、近い環境にいる友人だけの価値観の中で子供が育っていく環境では無くなっています。
当然、価値観も比較にならないほど多様化しています。
競争することは苦しいことだという当たり前の事実
今でも、勝気で、自分への自信に溢れている人は他者に勝つことを人生の目標としている人もいます。
私は思うのですが、「勝つ」という言葉自体、同じフィールドで同じルール・条件で戦う場合に使う言葉だと思います。
分かりやすく言うと、オリンピック競技の勝敗では勝つという言葉が使われるのが妥当でしょう。
しかし、「勝ち組、負け組」のように、世間では同じ仕事をしているわけでもない人同士の競争において、給料や収入の多い少ないで勝つ、負けるという言葉が使われていたりします。
非正規雇用で働く人と、大企業の社長が同じフィールドで同じ条件で戦っていると思っているのなら、あまりにも世間を知らなさ過ぎると言わざるをえません。競争にすらなっていないほどあらゆる条件の違いがあるでしょう。
大体、今の世の中では、昔ほど金銭だけで物事の価値を測ることができなくなってきています。
「お金がなければ生活できない、お金は大切だ」と未だに言う人はたくさんいますが、実際、一部ではその通りだと思います。
しかし、戦後の日本では貧困=死と言っても良い状態があり、そのような理屈は最もであったでしょうが、現代では生活保護制度もあります。
餓死した親子のニュースなどが時たま報道されますが、現代の日本において珍しいことだからこそニュースになるのであって、本当に貧困でバタバタ人が餓死している国ではそんなことは当たり前すぎてニュースにもならないでしょう。
日本の歴史を見てみると、戦後の日本であれば、お金を持っていることは生命の安心につながり、昭和後期であれば、それは最新式の洗濯機を買ったり、よりよい生活の豊かさを保証することになりました。
これからの日本ではどうでしょうか?
お金以外にも大切な価値観がある時代
お金を大して持っていなくても、SNSのフォロワーに助けられて生活している人もいますし、Facebookが大した収益を上げていないWhats up!を「フォロワー数が多い」ということで巨額の資金で買収したのは有名な話です。
身近な例を見てみても、月収は少なくてもそれなりに楽しく幸せに暮らしている人を私はたくさん知っています。
断捨離、ミニマリスト、シンプルライフというキーワードが流行し、できるだけ物を持たず、無駄なものを買わない、持たないという人も多くなってきています。
私はミニマリストでも断捨離をしているわけではありませんが、要らないものはできるだけ、というかほとんど買わないし、無駄な機能が付いている高価な家電などは欲しいと思いません。
ややこしいだけだし、実際はそんな機能がなくても十分快適に生活ができることが今までの経験で分かっています。
車も軽自動車があれば十分過ぎるくらいだと思うし、税金の無駄に高い普通車なんて買う気はありません。
私だけでなく、そんな人は今多いのではないでしょうか。
書店ではあらゆるもの(物理的な物だけではなく、無駄な時間、情報や人間関係なども)を捨てる技術や、ゼロベースで考えることを推奨する本が溢れています。
アパレルブランドでもファストファッションが流行り、低価格な服飾品が溢れ、美容室でも1000円カットなど低価格化の波が押し寄せています。
スマホもSIMフリーの普及で今後低価格化していくでしょうし、今は昔と変わらず高額な大学に通うための教育費や塾の費用もeラーニングの普及で低価格化していくでしょう。
基本的に、いつの時代もみんな消耗品や生活必需品にはお金を掛けたがりません。トイレットペーパーなどはみんな10円でも安いものを買います。よって、競争の原理によりどんどん市場の価格は下がっていく傾向にあります。散髪なども同じです。
スマホや教育コストは今、生活必需品の類いになる過渡期にあると言えるのではないでしょうか。
しかし、それが趣味・嗜好・娯楽品になると少し違ってきます。
趣味のフィギュアを買うとなると、他人から見てどう違うのかさっぱり分からないような僅かな価値の違いに、かなりの金額を気前よく出費したりします。
結局は今後、お金をあまり持っていなくても、昭和後期のお金持ち並みの豊かな生活ぐらいはみんなが普通にできる日本になっていく可能性も高いのです。
そうなると、お金を唸るほど持っている富豪は事業でもするか、娯楽品を買い漁るか、というくらいしか使い道がないかもしれません。
戦後から昭和後期にお金をたくさん持っていると生命が保証され、時が経ち昭和後期になるとほとんどの普通の人の生命は保証され、お金をたくさん持っていることは生活の豊かさに結びつきました。今後はお金持ちは特殊な娯楽品や嗜好品を買うことにお金を使うようになるのではないかと思います。
つまりは、相対的にお金の価値は下がっていっているとも考えられます。
普通に生活するだけならそれほどお金を持っていなくても幸せに暮らせるのです。
そんな中で、少しのお金を争って苦しい競争を続ける人生に価値を感じない人たちが出てくるのも当然の流れだと思います。
もはやそんな時代ではないのです。それをみんな肌で感じている訳です。
「今の若い人は欲がない」なんて言葉も聞かれますが、そんなことはありません。
昔の欲が物欲中心であっただけで、今の若い世代は物欲はないですが、経験欲はばっちり持っていると感じます。
時代の流れで欲の形が変わっていることに気が付かない大人がそのようなことを言うのだと思います。
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競争する社会は過去の話
もちろんどこに行ってもある程度の競争はありますが、わざわざ狭き門、つまり競争者が多い、旧来の価値観に基づいた人生の方針を掲げる必要は今後ありません。
価値観がこれだけ多様化している時代です。
人生で何を目指すか、みんな違ったほうが競争は減り、各々の分野で住み分けができます。その方がお互い幸せになる確率が高くなります。
旧来の出世コースである、良い大学を出て、大企業に就職するだの、銀行に就職するなどはもうはるか過去の話であり、競争者が多く苦労する割に幸せのリターンが少なすぎます。
また、競争が少ない分野を頑張ったほうが他の人よりも簡単に頭一つ抜き出た存在になりやすいのです。
旧来のキャリアでは「負け組」と呼ばれてしまうような人でも、競争が少ない分野に立てば、一発逆転、特別な人になることも全然可能です。
まとめ
あなたがもし今の仕事で苦しいとか、人生が辛いと感じているのなら、無意識に過去の競争社会の陰に影響されているのかもしれません。
人生はもともと、他人と競争するためにあるのではないし、他人と比べて勝っているとか負けているなどと比較するものではないのです。これはごく当たり前のことで、誰でも少し考えれば分かることです。
一つの仕事を一生懸命頑張って、その分野で一角の人物になることも別に目指さなくても良いのです。もう、競争などしなくてよいのです。
むしろ、競争しないで、自分のオリジナルな可能性を追及するほうが特別な存在として社会の役に立てる時代になっていきます。
周りは気にせず、自分の愛する仕事や物事を追及しましょう。
それが今後最もベストな、生き残るための人生の戦略になるはずです。