
「あなたは自分を含めた周りのみんなが幸せになって欲しいと思いますか?」
もしあなたがそう思わなければ、以下の文章を読んでも共感できることはないと思うので、時間の無駄になります。
すぐにこのページを閉じて下さい。
もし、あなたが周りのみんなに幸せになって欲しいと心から願っているなら、以下の内容は決して無駄な話ではないと思います。
少し長文ですが、良ければ読んでみて下さい。(斜め読み・飛ばし読みがしやすいように大事な所は文字を太字で大きくしています。)
やりがいのある仕事”リハビリ”
私達理学療法士は決してきれいごとではなく、”給料は二の次”で仕事をしている人が多いです。
修行僧の様に、仕事が終った後に、遠い所で開催される勉強会に出席したり、夜遅くまで残業代など一切考えもせずに残業をしてリハビリ分野の研究に励んでいる人がこの業界にはたくさんいます。
実際に、理学療法士の給料は初任給こそやや高いですが、昇給が少ないため、生涯年収は普通の一般企業サラリーマンよりも低いと言うデータがあります。
一方で、仕事内容としてはすごくやりがいがあり、楽しい仕事です。
まず、理学療法士は、担当になった患者さんの生活や性格、家族関係、、友人など、病気のことよりも、”その人自身”のことを知ろうとします。
そこからその人の病気の特徴を知ろうとし、その病気がどのようにその人の生活の中で障害になっているかを考えます。
そして、その人が病気になって困っていることを楽にして上げたいと心から願い、リハビリの目標や計画を練ります。
私達の持っている専門技術は、筋肉や神経などの人体の運動機能に働きかけることですが、それだけではとても患者さんの問題が解決できないこともたくさんあります。
私達の生活・幸せは”運動・動作”だけで成り立っているいるものではなく、”感情や環境”などの心や周囲の状況によって左右されていることが多いからです。
あくまで「運動や動作」は安心して穏やかに暮らすための一つの小さな要素でしかありません。
いくら物理的に自由に体を動かせる人でも、家族で旅行に行くなど、動きたくなるような目的や感情の動き、他者との関係性がなければ、寝ている方が楽に決まっていて、人間は楽な方に行動してしまうものです。
ある人は、活動するための燃料が「責任感」である場合もあるし、ある人にとっては「快楽」であるかもしれません。
心に寄り添うリハビリを
リハビリという仕事に携わる者は、経験年数が浅いうちは、自分のことを身体の専門家だと思い、その人自身ではなく、身体を良くしようと疾患ばかりを見てリハビリに励みます。
私もそうでした。
しかし、経験年数を重ねると、身体に焦点を当てるだけでなく、疾患を持った人々の心に寄り添うリハビリを考えるようになります。
経験年数を重ねると、自分にできることも増えますが、それと同時に自分たちの技術の限界も知るようになるからです。
だって、私達が目指した本当のリハビリ職は、最終的には、体の機能の回復の先にある人生の幸せを叶えることを目標としていますよね。
最終的には、私達は体だけでなく心にも働き掛け、生活を変えることができる職人を目指すべきであると思います。
そうやって、人の幸せを心から願う人は、純粋にこの仕事に就いて良かったと思うはずです。
私もそう思います。
私達の仕事で救われる人が世の中に少しでもいることが肌で実感できる、こんな素晴らしい仕事は他にないと思っています。
それでも脳裏をよぎること・・・
しかし、人の幸せを心から願って身を捧げる気持ちでリハビリをしている私たちにも、ふとした時に頭によぎることがあります。
それは、自分たちの将来や家族の幸せのことです。
理学療法士は国家資格保有者であり、確かに優遇されている面も多くありますが、冒頭で述べたように、生涯年収は低いです。
実際私達の仕事は体を酷使する面もあり、万が一怪我や病気を自分がしてしまったら、働くのはかなり大変になります。
また、平均年齢が若いので、一般企業の様にキャリアのモデルとなるような人が身近にいない場合が多いのです。
「先が見えない・・・」
このように療法士でキャリアについて嘆く方はたくさんいます。
そんな不安からか起業する療法士も最近増えており、起業を勧める情報をよく耳にすることもあります。
恐らく一度はあなたも考えたことがあるのではないでしょうか。
しかし、いくら腕に自信がある療法士でも、起業するための資金集めや広告費、失敗するリスクなどその他諸々のことを考えると、起業することが自分の将来の安定を約束する方法とは思えないことも事実です。
多くの普通の方は、先が見えない中で、色んな人に話を聞き、ネットで情報を集め、自身の今後の身の振り方を模索している最中ではないでしょうか。
数十年前にはバブルと呼ばれるくらい給料が良かった職業がなぜこんなことになってしまったのでしょうか。
なぜみんな先が見えない、将来に不安を抱えた人が多い職業になってしまったのでしょうか。
先が見えない理由
それは、ひとつは日本経済の行き詰まりに原因があります。
ご存じのとおり、社会保障費の増大に伴い、診療報酬は減っていく一方です。加算要件は追加されることもありますが、その分の設備投資や教育など組織としてのサービスの向上が必須で、その分経費が掛かるため、療法士の実質の給料まで反映されにくいでしょう。
もうひとつは、将来像を描くモデルが身近にいないことです。
若い人達が多く、周囲にいる療法士の大先輩たちは皆、管理者や現場を離れてしまった方が多いです。
現役で50歳まで働いている、という人もいますが、かなり少ないでしょう。
あんな人になりたい!と思ってみても、10年前とは全然違う厳しい状況なので、その人が若いころにやっていたことと同じことをするだけでは同じ立場になれそうにありません。
管理職などの用意されているポストは限られており、昔とはけた違いに増えた療法士の数を収容することは不可能で、熾烈なポスト争いが懸念されます。
またポストを奪い合うという事は、誰かを蹴落とすことと同じです。自分がそのポストに就くことで他者がそのポストに就くことはできなくなってしまうからです。
あなたは仲の良い同期の仲間を蹴落としてでも自分の安定を望みますか?
私はそんなこと望みません。
みんな、自分の先が見えない中で、今目の前で困っている患者さんを救うことに毎日必死になっているうちにいつのまにか時間が過ぎていくのが現状ではないでしょうか。
幸せを求めるのは不自然なこと?
しかし、それで本当に良いのでしょうか?
自分達の将来の幸せが見えない人が、人を末永く幸せに導いてあげることができるのでしょうか?
自分たちの将来が見えない苦しい状態で、この仕事を続けていくことができるのでしょうか?
また、上述したように、幸せを構成する要素にはその人自身の問題も大きいですが、それ以外にも「環境・状況」によって大きく左右されます。
患者さん達を喜ばせ、幸せになる一助になることで私達は仕事から喜びを得て幸せな気分になることもできます。
しかし、あなたの家族はどうでしょうか?
もちろん、それなりの収入でも普通に生活することはできます。
しかし、もう少し余裕があれば、もっと家族に美味しいご飯を食べさせて、旅行に連れて行って、子供が望む教育を受けさせてあげて、もっと限りある一度きりの人生で幸せな経験をさせてあげられるかもしれません。
私は、周りの人を喜ばせる仕事がしたくてこの仕事を選びました。
その時私は独身で自分と患者さんが喜べればそれで良いと思っていました。
そんな私も働き始めて5年が経ち、今では一番身近な周りの人である、家族ができました。
私の宝物です。
今独身であるかもしれないあなたも、いつかは愛する家族ができ、一番身近な周りの人である家族を喜ばせてあげたい、と必ず思うようになるでしょう。
私がそうであったように、その時に今のままの収入では心もとないと思うようになるかもしれません。
私の療法士仲間はみんな、患者さんの幸せを願って、文句を言われたり、たとえリハビリを拒否されて足蹴にされても、笑顔でその人のためになると思うことに全力で取り組んでいます。
報われないとまでは言いませんが、もう少し多くを望んでも良いのではないのでしょうか。
リハビリ職の給料を増やすことを考えることは卑しくて悪いこと?
医療従事者は収入を増やすことに対して嫌悪感を持つ人が多い印象があります。
収入を増やすことは悪いことでしょうか?
そんなことはありません。
リハビリ職の収入を増やしていくことを考えることは大変良いことです。
お金は価値に対して支払われます。
ちゃんと価値があることをするならば、感謝してお金を払ってくれる人はたくさんいます。
逆にそれなりの価値を提供できなければ、お金を払ってくれる人などいません。
それだけのことです。
リハビリ職がより多くの価値を生み出し、自分たちの収入も増え、より多くの患者さん達にも喜んでもらえるようにするためにはどうしたら良いでしょうか?
リハビリの研究をして、科学的な根拠を証明し、社会的にリハビリの価値を認めてもらうことでしょうか。
それとも、自費診療で自分たちが思うリハビリを精一杯提供することでしょうか。
どちらも価値があり、素敵なことでであると思います。
しかし、私は少し疑問に思うところもあります。
研究して効果を実証するためには膨大な時間と労力が、患者さんにも、もちろん研究者自身にも必要です。
自費診療は上述の通り、普通に考えると失敗するリスクの方が高いです。
それ以外に、
効率良く、
より早く、
より確実に、
成果を出す方法はないのでしょうか?
より多くの人に喜んでもらうためには”レバレッジ”を効かすことを考える
リハビリの仕事は”泥臭い”仕事です。
リハビリの効果は普通すぐには出ません。
患者さんの訴えを心から聴き、考えて、話して、直接身体に触れ、時間を掛けてゆっくりと効果を上げていきます。
まるで、我が子を大事に育てる様に、話掛け、訴えを聴き、その成長を見守るように、患者さんとの関係性を慎重に少しづつ築いていきます。
よって、リハビリは”レバレッジ”が効きません。
レバレッジとは”てこ”と訳され、一つのものが何倍にも膨れ上がる様子のことを指します。
今までは、リハビリは地道にコツコツと一人一人の患者さんに誠心誠意向き合うことで始めて良い効果が生まれます。
しかし、昨今のIT技術の進歩により、このリハビリにもレバレッジを効かせることができるようになる可能性があります。
レバレッジを効かせるために効果的なもの、それは”インターネット”です。
今まで直接的に一人の人にしかアプローチできなかったリハビリが、パソコン上で間接的により多くの人の役に立てる可能性があります。
もちろん患者さんに直接触ることはできませんが、疾病予防に役立つリハビリ動画を配信したり、リハビリの専門知識を情報発信していくことはできます。
インターネットが本格的に各家庭に普及し始めたのはほんの20年程前です。
”一対多数”を相手にすることができる、インターネットは世界が変わるくらいの大きな可能性を秘めており、それはリハビリ業界ももちろん同じです。
今まで”一対一”を基本にしていた業界が、この道具を上手く使うことで”一対多数”に効果的にアプローチできる様になります。
ネットを使えばアイデア次第でほとんど何でもできる
例えば、
- このブログの様にみなさんと情報を簡単に共有すること
- Skypeなどを使い、患者さんに運動療法の指導
- 月一回、患者さんに個別プログラムをメールや動画で送り自主トレを行ってもらう
- 介助指導方法を音声や動画で家族さんに指導する
- 家屋調査(カメラ・写真で逆に動画や画像を配信してもらう)
- 歩行・姿勢のチェックとアドバイス・・・・etc
これはほんの一例ですが、こんなことが簡単にできます。
アイデアと知識次第でほとんど無限です。
今は高齢者の方がパソコンに馴染みがない方が多いため、難しいでしょうが、2025年問題で増えると言われている団塊の世代の高齢者は、パソコンを日常的に使っていた人が多いです。
そうなると、もはやなぜネットを効果的に使わないのか分からない位なので、どんどん使われていくようになるでしょう。
ちょうど、2025年問題以降高齢者が減りはじめ、リハビリの需要が急激に減少すると言われている頃に、そういった話が出てくるのではないかと思います。
私のキャリアデザイン
私は上述の様にネットを使ったリハビリ関係の情報発信やキャリア構築の方法、または今現在、ネットを使わなくてもできるキャリアスキルアップの方法を考えています。
まだ取り組み始めて1年も経っていませんが、現在順調に収入を拡大させていくことができています。
(リアルの療法士業と副収入含めての両方です。)
また順次、具体的な方法をこのブログを通して情報発信していきます。
私は後輩達によく上述な様な話をしています。
優しい、人のためにと思って一生懸命頑張る、この業界の療法士達が私は大好きです。
私だけがみなさんを置いて得するなんてことはしたくないし、私の本望ではありません。
甘っちょろい考えだと笑う方もいるでしょうが、それはそれで構いません。
大いに笑って下さい。
みなさんと一緒にスキルアップして収入を増やす方法を実績していきたいと思っています。
私は、いたってどこにでもいる、普通の人間で、療法士としては特に胸を張って誇れる実績もありません。
それでも何かできることがあるはずで、それが逆に、大多数である特別ではない普通の人にとって励みになると思います。
「選ばれる療法士」という都合の良い魔法の言葉
はっきり言って、「選ばれる療法士になる」なんて一昔前の時代の考え方です。
それは同時に、仲間を置いていくという自分本位な考え方でもあるからです。
選ばれない療法士はどうするのでしょうか?
それがあなたと励まし合って一緒に頑張ってきた仲間だったとしたら?
努力しなかったからダメなのでしょうか。
患者さんのことや仲間のことを想って、毎日身を粉にして働き、休日も少ない給料から自費で高額な勉強会に出席する療法士も「努力が足りない」のでしょうか?
一体、
どんな努力を、
どれ位すれば、
いつ、
どれくらいの収入が、
得られるのでしょうか?
いくら考えても私にはわかりませんし、恐らく今後それらが永遠にわかることはないでしょう。
「選ばれる療法士」
恐らくこの言葉は、旧世代の価値観に基づいたキャリアデザインの方法論ではないかと思います。
今はインターネットという強力な武器があり、1つの価値にレバレッジを効かせて10にも100にもすることができます。
単純に価値を1つ、また1つと労働で生産することばかりを考えるのではなく、生産した1つの価値をいかに10にも100にも変換させる方法を考えるかがこれからは問われてきます。
足し算ではなく、掛け算で価値を生み出していく時代です。
そんな時代にわざわざ蹴落とし合いをしなくても、皆で価値を提供していけば、より簡単に早く、多くの価値を生むことができ、多くの人の役に立つことができます。
当面私達にできることはなにか、毎日毎日考え抜いて、より良い未来にみんなで向かっていけるように、新しい時代を築いていきたいと思っています。