
リハビリテーション初期の介入で考慮すべきデマンドとニードの違いについて詳しく記載しています。
リハビリでは、まず問診して、患者さんのデマンドを聞き出し、それに基づいて専門的視点を持ってニードを決める、という介入初期のプロセスがあります。
セラピストが、「リハビリに取り組んで、最終的にはどうなりたいですか?」
と聞くと、「しびれが無くなって、取り敢えずトイレに自分で行けるようになりたい」
と患者さんが答えたとします。
私が学生の時なら、「デマンドは”しびれが無くなること”、ニードは”トイレ動作自立”かな・・・」と考えると思います。
一方で別に臨床場面でなくても、日常生活で「そもそも問題提起が間違っているがために、答えも出ない」ということが頻繁にあります。
例えば、仕事に熱心に取り組む夫に対して、妻が「仕事と家庭どっちが大切なの?」と聞いたとしたら、これは感情論を抜きにして厳密に言うと、問題提起そのものが間違えています。
何が間違っているのでしょうか?
そもそも、前提条件があって初めて問題提起が成り立ちます。
この場合の前提条件は「物事には必ず順位がある」ということです。でも、実際は仕事の収入があって家庭が成り立つ訳で、仕事と家庭は「両輪」です。
この問いに対しては、順位を付けることはできない、という答えが妥当ではないでしょうか。どちらかを1番にしてしまうと両方成り立たなくなる可能性があるからです。そもそも順位付けを前提とした問題提起が間違っています。
(もちろんこの場合の問題提起は、他の要因を考慮して現実的には「もっと家庭を大事にして欲しい」という妻の要求であると捉える必要があります。)
リハビリでもこれは同じで、デマンドとニードを深く考えることを疎かにすると、そもそも問題提起自体が間違っていることも多々あるように思います。
デマンド(demand)とは?
デマンド(demand)とは、「需要・要求」の意味を持ちます。
患者さんが何らかの病気を発症し、以前の生活が送れなくなってしまった。その時に本人はまず何を望んでいるのか?を聞き出すことがデマンドを聞き出す、ということです。
「麻痺した足がまた元通りに自由に動くようになって欲しい」
「以前のように走れるようになりたい」
こういった発言がデマンドである、と言うこともできます。
本来、デマンドは固定的なものではなく変化していきます。なぜなら、身体の状態や自身を取り巻く環境が変化していけばできること、したいことは変わっていくのが普通だからです。
なので、「初期介入(現時点)でのデマンド」という視点を持っておく必要があると思います。
しかし、改めて専門家としての視点で患者さんの訴えるデマンドを聞いてみると、
「それは実現することが困難ではないか?」とか、
「それよりもこっちを重点的に改善した方がより生活が良くなるのではないか?」
ということが必ず出てきます。それが後述するニードになります。
デマンドを具体的にしていく検証が必要
もう少しデマンドについて掘り下げていきます。
では、どうやって本当のデマンドを聞き出せば良いのでしょうか?
まず前提として理解しておくべきことは、「実は患者自身が何を望んでいるのかよくわかっていないことが頻繁にある」ということです。
デマンドを患者から聞いたときに、「患者さんの欲求なのだから」、「本人がそう言っているのだから」発した言葉そのままをデマンドとしてしまうことがよくあります。
しかし、その時点で「本当にそれが患者さんが望んでいることなのか?」と改めて考える視点を持っていて欲しいと思います。
本当にそのデマンドは患者さんの想いなのか?
例えば、高校生の子に将来何になりたいですか?と聞いたところで「う〜ん」と考え込んでしまうことも多いことは簡単に想像できますよね。
人間は何か欲求があって、それを満たすために活動するというのは事実だと思いますが、それを自身で認識し、言葉にできるか?と言われるとかなり微妙なところです。
何となくは想い描くイメージがあるけど、どう言葉にして伝えたら良いのか分からない、ということが私には頻繁にあります。
ましてや、リハビリの対象となる患者、特に急性期や回復期の患者は突然の身体の変化に驚き、混乱していても何ら不思議ではなく、自分が求めているもの(欲求)を即答できる状況にない可能性はないでしょうか。
言葉にできたとしても、自身の身体がどうなっていくのか、どんな身体機能が残されているのか、まだ暗中模索の段階にあるのが普通ではないでしょうか。
その中で突然、「何がしたいですか?」と聞かれても、「今はまだよく分かりませんが、今後残された可能性を見つけていきたいです。」と私なら答えると想います。
よって、本来ならばデマンドを一応聞き出したら、本当にそのデマンドが患者さんが求めていることなのか、懐疑的に、常に疑問を持ちながらその後の臨床に取り組んでいく姿勢が大切だと思います。
患者さんと一緒にデマンドを見つけていくというリハビリが理想だと思います。
そして臨床において患者と接していくうちに本当のデマンドと確信が持てる事柄がいくつか発見できたら、再度そのデマンドを軸にしてニードを決めていく、という流れを取るのが理想だと思います。
二ード(need)とは?
次に、デマンドを軸にして、専門職としての見解を加味してニード(need)を決めていきます。ニードとは必要のことです。
以前の様にその人らしい生活を送るために何が必要なのか?そこに専門的・医学的知識を考慮して考えていきます。
その時、当然考えるための材料として、身体機能面の評価、ADLなど動作レベルの評価が必要で、それらを最低行ってから決定していきます。
先ほど例に出した患者さんの場合だと、「トイレ動作自立」がニードかもしれませんね。
しかし、ここでもう一度考えて頂きたいのです。
ADLの評価をFIMやバーセルインデックス(BI)で行い、トイレ動作ができていないからニードは「トイレ動作 自立」としているだけ、ならもう少し視点を変えて考える余地があります。
上述した様に、問題提起が間違っていると答えも間違ったものになります。
このニードを基にプログラムを構築していくことになるので、その後色々治療をやってみても答えが出ないことになる可能性も高いです。
本当にそのニードは適切な問題提起になっているのでしょうか?
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ニードを決める際に考えること
「デマンドを中心に据えて、専門的視点からニードを設定する。」
恐らく多くの教科書にはだいたいこのように書かれているはずです。しかし、専門的視点とは一体何を指しているのか?私にはピンときません。
一体、私たちの専門性はどこにあるのでしょうか?人によって解釈が異なるところかもしれない、と私は思います。
参考までに、私のリハビリ職・療法士の専門性についての見解は「個別性を評価できること」だと思っています。
治療や診断に特化している職業が医師です。
医師は診断し、病名を付けます。実際の疾患の症状はおおよそ似てはいますが、人によって微妙に違います。
さらに、その症状によって出現する機能障害はもっと異なってきます。
さらに、機能障害が同じでも、ある人は特定の動作が遂行できるのに、ある人は出来ない、ということも臨床上良くあります。
また、生活場面でその動作遂行障害により影響を受ける部分はもっと人によって異なります。
人それぞれ、みんな細く見ていくと全く同じ生活をしている、なんてことはありえません。
例え家族、近親者、双子であろうと、当たり前ですが趣味・嗜好はバラバラです。 それに伴って個々の生活もバラバラです。
本当のニードを見つけるためにはこの、個別性の大変高い「その人の生活」を見据えた評価が必要です。
ADLの評価バッテリーは色々ありますが、あくまで生活行為の中でベーシックなものを捉えているだけです。とても充分とは言えません。
では、どんな評価を行っていけば良いか?
それは”対話”です。
個々の生活を評価していくには、バーバルでもノンバーバルでも構わない、とにかくコミュケーションをたくさん取って、その人を知っていくことに尽きるのではないかと思います。
その人の生活を知ることで本当のニードが見えてくる
例えば、ある事象があるとして、それをどう捉えるか?は人によって微妙に違います。
職場で「これは簡単な仕事だからあなたがやっといて」と言われた場合、ある人は「私に能力がないためだ・・」と落ち込むかもしれないし、ある人は「簡単な仕事を振ってくれてありがたい!」と捉えるかも知れません。
認知の歪み(バイアス)があるため、人それぞれ感じ方・捉え方が違います。
「トイレ動作自立」をニードとしたのなら、それはなぜでしょうか?
介護者である夫に排せつの介助をしてもらうことが申し訳ないからでしょうか?
それとも、生活の中でトイレだけでも自分の足の力を使い、これ以上身体が弱らないようにしたいのでしょうか?
きっとその患者の想いがニードの裏にはあるはずです。そういった想いまではどんな評価バッテリーでも拾い上げることはできません。
その人の想いを知るためには、まずは想いを聞いてもらえる人であると患者に認識してもらわなければならないし、その人の感じ方や考え方を知ることが必要です。
そのためには、その人の過去の人生の経験とそれに対する患者の気持ちや行動の反応、それらを聴いていくことも必要かもしれません。
まとめ
デマンドは意外と本人もわかっていないことも多く、セラピストと患者が協力し、リハビリの中で可能性を探りながら一緒に探していく、という姿勢が大切です。
また、ニードも、充分にその患者の個別性が考慮されたものでなくてはならず、そのためには、患者の生活を知ることが必要です。
生活を知るためには、その人の趣味や嗜好、ひいては物事に対する捉え方、感じ方を対話を通して知っていかなければなりません。
私自身、臨床でリハビリプロセスで行き詰まっている時、このデマンドとニードの把握が充分でない、と感じることがあります。思い当たることがある方は、一度この機会にデマンドとニードを再度考え直してみると良いかもしれませんね。