
例えば、リハにおいて「患者のQOLを考えることが大切」ということは学生でも分かっていることですが、本当に大切に考えて臨床に臨めている人って実は少ないのでは、と思います。
なぜか?
QOL(クオリティオブライフ=生活・人生の質)の意味は勉強して分かっていても、また、「QOLをちゃんと考えろ!」と先輩に叱責されたとしても、当人は決して怠けている訳ではなく、
「抽象度が高すぎて具体性がないから、実際の臨床でどうやれば良いのか分からない、適応させる術が分からない」
という状態が多くあるように思います。
参考)抽象度とは?
- 座学中心の勉強会に行って頭で理解できても、臨床では活かせない。
こんなことはリハビリの臨床の現場では日常茶飯事ですが、小さい事象でいうと、筋緊張や運動失調などもそうで、いくら教科書を読んで、そのこと理解しても実際に臨床でその事象に遭遇するまではとても理解しているとは言えないと思います。
つまり、リハビリテーションの臨床家は、いくら勉強して、俯瞰した状態で医療的・リハビリ的な概念を理解したとしても、具現化する能力がなければ、患者に実際に臨床に活かすことは不可能です。
そういったことがリハビリテーションには常に付きまとう気がしています。
しかし、じゃあ、抽象的な概念を勉強しても全く意味がないのか?というとそうではなく、まずは抽象的に理解することで、その存在を認知することが必要かつ重要です。
認知できていないことは具現化できません。
ヒト以外の動物は言語を持たないため、抽象度を上げて事象を捉えることができません。なので、新しい事象を知ることができない。”学習”できない。
つまり、リハビリテーションの勉強の仕方としては、まずは抽象的に俯瞰して物事を捉え、そして、知識を深めつつ、臨床で試行錯誤しながら、その知識を具現化していく、といった過程が必ず必要です。
具現化していく過程は臨床でのみ深めていくことができるため、臨床経験を重ねた療法士は「具現化させる能力が高い」ということになります。
漠然としたモヤッとした雲の様なリハビリテーションの技術・知識、概念を、試行錯誤し、修練を重ね、患者さんと一緒に具現化させていく、それがリハビリの臨床で患者を治療する、ということだと思います。
つまり、私達の仕事は、「事象を具現化させて、現実に創造する」といった側面が多分にあるように思います。
「地域リハビリテーション」とは一体何なのか?
前置きはこれ位にして、未来のリハビリテーションのひとつの形として「地域リハビリテーション」というものがあります。私はこれこそまさしく抽象度が高い事象だと思っています。
地域包括ケアシステムや、自助・互助・共助・公助などの概念について知ったところで、具体性が皆無で、私は全くイメージが出来ません。訪問リハビリに勤務し、地域で実際に働いている私でも、です。

国が唱えるそれらの概念を頭では理解しても、ビジョンが描けなければ、それを実現させることは難しいと思います。「ふ~ん、そうなんだ。」で終ってしまう可能性が高い。
もっと具体的かつ鮮明なイメージを多くの人が描けないと、とてもそれを具現化させて、実際に現実に創り上げてしまう程の力は持てないでしょう。
日本や世界の状況を考えてみると、リハビリテーションの時代背景を考慮した次の段階として「地域で生活に根差したリハビリテーション」に進んでいくことは明白です。
治療家が治療(この場合の治療家というのは、医術を用いて治療する職業全てのことを指しています。)して、対価として診療報酬を頂く、という形式では、これからの日本ではとても長く続けられる方法とは思えません。
実際に国が描く、未来の医療の形は、そういった方向にはありません。
「治療家が一度関わるだけで、その人の生活が変わり、良い方向に人生が変わってしまう。」
そういった究極の高品質の医療の形が求められています。
旧来のリハビリの治療の形で考えると「そんなこと絶対に無理」と思うかも知れません。
しかし、これは工夫とアイデア次第で可能といえば可能です。
分かりやすいように具体例を出します。
45才の女性、脳梗塞で左半身の運動麻痺が重度です。発症して1年が経過しています。
歩行は屋外見守り、杖歩行で可能です。10分歩くと麻痺側下肢の降り出しが困難となり、歩行継続困難となります。
たった一回のリハビリの介入で、その方の発症以来の念願である「近所のスーパー(歩いて15分の距離)に買い物に一人で行く」という問題を専門家として解決できなければならない
とします。
どうすればよいでしょうか?
答えの一例は「電動車椅子を提案し、導入する」ということです。そうすれば、一回の介入でも確実に生活が変わり、ひいては人生も変わる可能性があります。
機能障害に対する治療という形すらも度外視して、費用対効果・アウトカムの最大化を図る方法を模索・適応すること、それが「質の高い医療の未来のリハビリテーションの形」なのかもしれません。
(もちろん、異論がある方も多いでしょう。あくまでこれは一例です。)
そして、その方の電動車椅子の操作方法について、専門家として機能障害の点を考慮することが「専門性」ということになるかも知れません。(例として具体的に言うと、半側空間無視の有無や、上肢・手指の機能障害の有無などの評価です。)
旧来のリハビリテーションの形が、何度も何か月も介入し、機能障害を改善し、やがて、ADLを改善させ、QOLを改善させる、といった方向性を反射的に、自動的にまず取ろうとするのに対し、できるだけ短絡的に、直接的に患者が望むゴールを目指す。
それが「未来のリハビリテーション」と言うことになるかも知れません。
しかし、地域リハがこれからは大事だ、新しいリハの形だ、と理解していても、現在ここにはなく、さらに周りを見渡しても身近な所ではそのようなものはない。
地域リハの勉強会に参加しても、漠然とした概念ばかりが先行し、具体的なイメージがほとんどできない。調べてみても頭では理解しても腑に落ちない。
私を始め、そんな状況を不安に思っている療法士は多いのではないかと思います。
「今後のリハビリテーションは一体どうなっていくの?」と。
国が描く、未来のリハビリテーション「地域リハビリテーション」の実際の形
ここで、私が知ることのできる範囲で「未来のリハビリテーション」を実績している、できるだけ具体的な形をご紹介します。
スマートウェルネスシティ

参考)知ってて損はない!2016年に活発化しそうな最新の医療動向「シニアタウン、CCRC、Smart Wellness City」
スマートウェルネスシティでは、特徴的な取り組みが色々なされていますが、キーになるポイントは主に2つ。
- ヘルスリテラシー
- ソーシャルキャピタル
という概念を重要視している点です。
スマートウェルネスシティでは、国民の健康・運動に対する知識(ヘルスリテラシー)を高め、ソーシャルキャピタル(社会的資本)を利用して、持続可能な健康長寿社会を目指す、とされています。

国が唱える地域包括ケアシステムにある、「自助・互助・共助・公助」がうまく具現化した良いモデルだと思います。
しかし、私は疑問に思う点があり、このような保険医療の形を新しく作っていくには、どうしてもインフラ整備の必要性があるような気がしています。
つまり、シニアタウンを本当に作ってしまい、こういった具体的な取り組みを行っていく必要があるように思います。
将来の日本は、現在で言うところのシニアタウンをわざわざ創る必要もなく、ほおっておいても自然にそうなっていくだろう、という推測の元に立案されたものかも知れませんが。
保健医療2035「ライフ・デザイン」

国が新しく提言している、保健医療2035「ライフ・デザイン」。
こちらはまだ構想段階で、具体的な例はありませんが、上述のスマートウェルネスシティとの大きな相違点は、
- テクノロジーの普及発達に合わせて、医療・保健分野に積極的に新しいものを取り入れて、日本経済への貢献も視野に入れている点
でしょうか。
高齢化社会を迎えるという土壌を持ち、一方でテクノロジー先進国であるという一面もある日本。
日本の
- ロボット産業
- ヘルスケア事業
- ウェアラブル端末(日本は小型化が得意です)
など最新ヘルスケア分野のテクノロジーの点が線として繋がった形で提示されているのが、この「ライフ・デザイン提言書」であると思います。
歴史の流れからみても、インターネットの普及が物語るように、新しいテクノロジーの普及・発達は、実際に過去から現在、そして未来へと続く線を、一気に遮断し、良い方向に飛躍させる可能性を大きく秘めています。ここに注視しているのがこのプランです。
一方で、このプランには具体性がいまいちありません。
なぜなら、テクノロジーの発達は予想できない場合も多くあり、実際の細かいところは推測でしかない場合も多いからです。
もっと具体的な地域リハビリテーションの形を掴めないものか?
「スマートウェルネスシティ」では、具体的だが、未来予測のうち、テクノロジーの発達を視点に入れている要素が少ない。
一方で、その視点を取り入れた「ライフ・デザイン」では具体性がやや足りない。
実際にもっと具体的な地域リハビリのイメージを掴むためには、どうすれば良いのでしょうか?
そこで、Twitterで地域リハについて情報発信しつつ、構築に向けて実際に活動されている療法士の方に、そこらのことを聞いてみました。
対談者紹介
というブログを運営されている理学療法士の松村さん。ブログぜひ読んでください!マジで凄いですよ!
気持ちいいくらい視点が「未来」です。現在しか見ていないと置いていかれそうになる上質の記事ばかりですが、そんな私みたいな療法士を一切否定することなく、松村さんの優しさ溢れる文章で、視点を変えていくためのアドバイスがそっとさりげなく書かれています。
私はブログを何度も読み返しました。外国の地域の様子なども地域リハに関わる療法士の目線で記事にされていて、非常に勉強になります。
地域リハビリテーションの具体像とは?
私は、これからの地域リハビリテーションの具体的なイメージがいまいち掴めません。
私を始め、未来のリハビリの形のイメージを掴めないことに悩んでいる療法士はたくさんいると思います。
具体的なところをぜひ、ご教授頂けませんか?
具体的なイメージは私もまだ詳細には掴めていませんが、一つだけ言えることがあります。
それは「セラピストが思っているよりもリハビリテーションは一般的ではない(地域に浸透していない)」ということです。
それを認識しているセラピストは意外と少ないと感じます。
なので地域ケア会議においてもPTだけ的外れなことを言う存在だなんて言われたりしてしまいます・・・。
これは重大な問題だと思います。
地域包括ケアが謳われている上で、まずセラピストが地域に
「リハビリテーションとは何で、どんな可能性があり、あなた(住民)にとってこんな素敵なことがある」
ことを提示することが必要だと考えています。
なので、私はブログを開設し、近しい友人から「リハビリテーションとは?」という事を発信していきました。
すると、そこからさらに、リハビリテーションとは何かを自分の中で深めることができました。
それまで抽象性の高かった「リハビリテーション」が具体的となり、深める知識も点が線となり、面に広がっていくイメージを持つことができました。
つまりは、自分なりの「リハビリテーション」とは?を突き詰めていくことが、地域リハにつなげるアプローチだと思っています。
リハビリの定義自体から個人レベルで捉え直す、ということでしょうか。
私の中では、地域リハの形としては、スマートウェルネスシティが具体的かと思っています。
こういった形が最大限私がイメージできる具体的な地域リハの形に近いです。
しかし、これは今の体制や医療システムの延長線上に作れる、というものでもなく、「旧来のリハビリテーションの形を脱皮」した上で成り立つような気がします。
つまり、治療者と患者(与えるものと与えられるもの)医療従事者、そういった立場や関係性を放棄して、人対人として「生きる楽しみを共有すること」に特化した社会、という感じがします。
そのための健康であり、そのための幸せを追い求める社会、それが地域リハなのかなと。
専門性を与えるのではなく、共有する社会。
松村さんの自分なりのリハビリテーションを突き詰める、とはそういったことでしょうか?
与えられたリハビリという概念ではなく、自分で新しくリハビリの概念を作っていく、ということでしょうか?
選択肢を広げる、または深めることが「セラピストの専門性」
西野さんの地域リハのイメージに共感します。 一方向の与える立場ではないことは強調したいところかと感じます。
「リハビリテーション」の概念をセラピストが個人レベルで深めるということですね。
新しく作るもしかりだと思います。大事なのは自分の言葉で表現することです。
教科書的にはリハビリテーションとは、「全人的復権だ!」などと言われていますが、これは上田敏先生の表現で、僕たちにとっては抽象度は高い表現だと思っています(もちろん素晴らしい表現ですが)
私の考えるリハビリテーションという概念は、「普段の生活にすでにあるもの」で特別なことではない、と考えています。
それはつまり、地域に溶け込めるはずの概念だと信じています。
その中では、スマートウェルネスシティにおけるヘルスリテラシーは通じる部分があると思います。
また、かなり強引ですが、「素人専門家(Lay Expert)」につながるような取り組みや、保健医療2035提言書における「ライフ・デザイン」とも言えるでしょう。
今後の保健医療・福祉は、ますます自らで選択する時代になり、いまよりも選択しやすくなります。
質の高いものを選ぶ、その前提で自分のことを理解し、どんな選択肢があるのかを知る。
リハビリテーションはその選択肢を拡大もしくは深める可能性を秘めていると考えます。
それをどう地域にマッチングさせていくかがポイントですが、 そこで重要なのが、住民の声を聞くことだと思います。
私は千葉県の松戸市に在住しており(現職場は東京ですが。。)、長期スパンで松戸市の地域リハを目指しています。
松戸市民主体で考えるどんな町にしたいかをディスカッションする場に定期的に参加していまして、健康と生きがいに関して自分たちでよくしていきたいと考える方が多くいました。
そこで初めて専門性が活かされると感じました。
ここからは蛇足ですが、 先ほどもありました、一方向の与える立場ではいけないことは、セラピストは誰でも意識しているとは思います。ところがセラピストは専門職ゆえに知識がありすぎる為、多少なりとも押し付けが生じる部分もあります。
そのほうがその人の為になると考えるからですね。
しかしそれが俗にいう「その人らしく」につながるかといえばそうでもない場合もあります。この場合は、知識の活かし方に問題があります。
またそもそもその人らしくなんて理解している人はなかなかいないのではないでしょうか? その人らしさを引き出すこともセラピストの可能性であり、そして一緒に見つけていくこと。それは生きがいとも言えますかね。
つまりは、「再び」という表現より、「創造すること」もリハビリテーションともいえるかもしれません。
「創造することがリハビリテーション」これはすごく共感します。
現在のセラピストが行う、対患者への治療という狭い範囲だけで言っても、創意工夫し、プログラムを作る、その人に合ったように処方する。 これは多分に創造、アートの要素があると思います。
この前、ピラティストレーナーの方とお話しさせて頂く機会があり、ピラティスでは、”アート”という要素を重視しているとおっしゃっており、非常に感銘を受けました。
ピラティスでは「患者と一緒に治療を創り上げる」概念があると。
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それをそのまま拡大し、”患者”としていた対象を”地域”というフェーズに当てはめる。
そうすると、まずは地域と対話して、対象のニードを聞かなければならない。
そして、地域の問題点を評価し、その地域に合ったプログラム(デザイン)を創り、創造し、本当に地域に実跡できる形で提示していく。
その時にレイエキスパートの力も多分に必要になる。
こう考えていくと、私の中でかなり具体的になってきました。
私は理想の地域リハは既存の医療体制の上では実現が難しいのかと思っていましたが、そうではないみたいですね。
リハビリテーションの対象を”患者”としていたものを、”地域”にするということ、実際はそれだけのことなのかもしれません。
しかし、私はまだ引っかかるところがあります。何かが足りない気がします。
地域リハを新しく構成するためのパーツとして、現在足りないものは松村さんはなんだと思いますか?
求められているのは「リハビリテーションを意識し過ぎないリハビリテーション」
もちろん私も一理学療法士ですし、身体の専門家としての側面がありますので、専門知識や技術の研鑽がまだまだまだ必要です。
しかし、その知識を何のために活かすかという視点をみつけるのも、やはり「リハビリテーション」を改めて考えることが前提だと思います。
経験がなかったり、病院のセラピストでもその考えを持つことは可能だと思います。むしろ、自分の言葉でリハビリテーションを示すことが何よりも重要です。
ですが、さらにその上では、やはりいかに「外」に目を向けるかがもっとも重要だと思います。
では、外とは?
例として一つ挙げますと、実は意外にも職場内でも外は存在します。
それは「介護」です。
我々セラピストは、介護士さんに、一方的な指示をしたりしていないでしょうか。十分にコミュニケーションができているでしょうか?「十分に」が大事です。
これを突き詰めていくと、それだけでも狭い視点だった「リハビリテーション」が広がると思います。
かく言う私は、まだまだ「十分」ではないですが。。。
話は戻りますが、西野さんの挙げて下さったスマートウェルネスシティや保健医療2035もそうですが、どこにも「地域リハビリテーション」と明記はありません。
!!確かに・・・。
つまり、地域リハビリテーション自体が、パーツでしかないと思います。
つまり、本当の保健医療の形をデザインする時には、「リハビリテーションを強調しすぎないこと」という視点を意識できるか、ということも大変重要だと思います。
「リハビリテーションを意識し過ぎないこと!」これは目からウロコでした!
その先に新しいリハビリテーションの姿というか、健康に基づく幸せな地域の姿がある、ということですね。
リハビリ職がリハビリを意識し過ぎず、まるで呼吸するかのように自然に対象の幸せを実現するための方法を選択する、あるいは可能性を示す、と言ったことが出来るようになって初めて、本当の保健医療の形が実現できるのかもしれませんね。
しかし、現在のリハ職が対象と向き合った時、リハビリから意識を逸らすのは至難の技であると思います。 恐らくですが、リハ職の教育分野、土壌から変えていかないといけないような気がします。
健康に基づく幸せな地域の姿を、そこの地域住民で考えることが、地域包括ケアなんだと理解しています。
それはやはり大前提であって、私の専門性が活かされるのはそこからですよね。
具体的にはアセスメントだったり動作や福祉用具のアドバイスといった個別性のある関わりができるところはセラピストの強み(専門性)だと思います。
まとめ
過去には、機能障害の改善に注視していたリハビリテーションは、回復期病棟の出現によって、社会的な要請から、ADLの向上、自宅復帰という概念を取り入れ、それを目標とするようになります。
後に、ICF(国際生活機能分類)の登場により、生活の機能の向上、社会参加といったところが目標にされるようになりました。
やがて、地域包括ケアを支えるためのリハビリテーションの要請が社会的に高まり、「その人らしい暮らしの再構築と支援」が目標とされるリハビリテーションをみなが当たり前の様に考えるようになるでしょう。
私達のフィールドはそれに伴い、病院から在宅、やがては地域へと拡大していきます。
その時に私達の専門性は、機能障害を治療するだけでもなく(もちろんそれも大切ですが)「その人らしさを発見・再構築」するためにフル稼働させなければなりません。
画家で有名な岡本太郎氏は、
「人生は”積み重ねていくこと”だと思っている人が多いが、本当は”積み減らしていくこと”が人生だと思う。余計なものを脱ぎ捨て、自由に身軽になっていくために、人生はあるんだ。」
という様なことを言いました。
そもそも、保健医療というものが根底に「健康に基づく人々の幸せを追究すること」にある以上、そういった役割を担うことが私達セラピストの本来の姿なのかもしれません。