
スティーブ・ジョブズは、「ユーザーは何となく気づいている。」と言いました。昨今、若者の投票率の低さや政治への無関心が叫ばれていますが、若者達は直感的に、もう既に政治が”オワコン”であるということに何となく気付いてしまっています。
政治の原型
政治は原始時代から始まった人類が、集団で社会生活を送るようになり、必然的、かつ自然発生的に出現したものです。
昔は無くてはならないものでした。
集団の中で代表者を決め、国民の皆から希望を聞き、資金を集め、代表者は大きな権限を持つことで、個人や少々の規模での組織ではとてもできないような大きな規模の社会整備を行ったり、ルールを作りました。
やがて文明の進化と人口増加に伴い、社会全体が大きくなってくると、代表者たちも政党という組織を作って仕事をするようになります。
”国”という決められた土地の範囲の中に住む国民の、その意思を汲み取って代表者が代わりに政治を行う、それが政治の原型でした。
政治の進化
産業革命以降、工場での生産とお金を中心に経済と生活が回るようになり、資本主義が誕生しました。
本来、お金を集めて事を成す、という性質を持っている政治は、お金を持っていることが力である資本主義にがっちり符合し、その力を強めていきました。
やがて、政治家は国民から集めたお金を国民の意思に反して勝手に使うことを覚えます。
また、この時に社会のルールを作れる政治家は自身達の都合の良いように法律をどんどん作っていけば、自身の金銭的優位が保たれることに気付くのです。
加速する個人文化の進化
一方で、国民が暮らす、一般社会・文化も時代と共にどんどん進化していきます。
「安全で便利、より豊かに」
これは人類みな共通して持つ普遍的な願望です。欲望と置き換えても良いです。
その欲望に応えるように様々な道具やシステムが開発・構築され、どんどん社会は良くなってきています。
今では、江戸時代の大名が持っていたよりも膨大な世界の情報を、一般人一人が持っていると言われています。
インターネットを通して、世界中のあらゆる情報や、普段関わることのない、異文化を持つ人とも簡単にコミュニケーションを取ることができるようになりました。
それに伴い、文化の進化の速度も大きく向上し、今ではかつて100年掛かっていた進化が3年で達成できるとも言われています。
個人を責めても意味がない
文化の成熟がゆっくりな時代に生まれた政治は、時代を経ていくごとに一般大衆の文化の進化に追いついていくことができなくなりました。
未だに「昔の良い時代」と自身たちが思っている、伝統的な法律や仕組みを重視しています。
例えば、2016年現在、原動機付自転車は、法定速度30㎞。
今の高性能の原付きは30㎞をずっと維持しながら走るのは逆に難しいし、追突される危険性も高くなる。
遅すぎて逆に危ないと思いませんか?
一人の議員が税金を私的に使うことばかりがクローズアップされ、その個人を叩くことがもはやお祭りのように恒例になっていますが、
実際は、そんなことはどうでも良いんです。
あなたも薄々気づいていますよね。
時間が経てば勝手に税金として合法的にお金が集まってくる。
そんな環境に居て、それを自分が使えるとしたら、お金を使ってしまうのが普通の人間だと思いませんか?
「あの人が悪い、あの人をどうにかしろ!」
という声を挙げるだけでは絶対に問題は解決しません。
時間が経てば勝手に税金として合法的にお金が集まってくる。
そんな環境に居て、それを自分が使えるという状態。
これを改善していかなければ、延々と人を変えて同じことを繰り返すことは自明です。
そして、最も核心的な問題は、
その環境を変えられる権限を最も強く持つのが、その環境にいる当事者である政治家達である。
という点です
「良い環境にいる人たちが、自ら良い環境を捨てる」
ということが考えられるでしょうか?
あなたが毎月自動的に100万円口座に振り込まれる仕組みを持っていたとして、それを来月から辞めよう!と思えるでしょうか?
まぁ、無理でしょう。
政治と文化の進化の速度の乖離
2013年にようやくネット選挙の一部が許可されました。
それまでは、ビラ配りなどのアナログ的方法でしか選挙活動が認められていませんでした。
2013年と言えば、みんなが各家庭に一台パソコンを持ち始めた時期をとっくに過ぎて、個人で1台スマホをみんなが持つようになってしばらく経ってからです。
国は、日本中の情報を莫大なお金と労力を使って収集し、全体の状況をどの企業よりも知っているはずです。
みんなに浸透する前に、前もって動くことも簡単にできるはずです。
しかし、ネット選挙がやっと認められたのが2013年。
どう考えても遅すぎませんか?
組織の意思決定には、承認を得なければならない人の数が多ければ多いほど時間を要します。
文化の進化の速度と反比例するように増え続ける政治家と官僚。
意思決定の速度がどんどん落ちていくのは当然と言えます。
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もはや政治は”オワコン”であるという事実
スマホを家に忘れて仕事に行ってしまった時の絶望感と言ったらないですよね。
若者は最新の技術やテクノロジーにどっぷりつかった環境でずっと生活しており、もはやそれらは政治よりも、身近になくてはならないものです。
なんか胡散くさいし、説教くさい、面白くもないおじさん達の話なんて聞く気がしないのは当たり前です。
何の魅力もないからです。
「それでも若者は政治に興味を持たないといかん!」と言うおじさんも、全くスマホやネットが使えなかったりするから笑えません。
若者からしたら「あんたらは、まずスマホとネットくらい使えるようになったら??」と言いたいでしょう。
でも言いません。
無駄だと何となく分かっているからです。
スマホで投票はなぜ実現しない??
若者の投票率を上げたかったら、従来の方法に追加して、スマホで投票ができるようになれば、それだけでかなり投票率が上がるでしょう。
こんなことは政治素人の私が、昼飯時にカップラーメンを啜りながらでも少し考えれば分かることです。
便利で労力や税金を大きく節約できます。
なぜ実現しないのか?
「箱に紙を入れる」
こんな明治時代の投票方法を未だに若者に強要しているのですから、「アホか」と思う若者もたくさんいることでしょう。
でも変わらないのです。変える気がない。
これはほんの一例ですが、素人が居眠りしながら考えても分かる解決策も、実行することができないし、実現することはなく、問題は追加され、どんどん放置されていきます。
かと思ったら、オリンピック会場の椅子をプラスチックにするか、木製にするか、などとどうでも良いことで議論していたりします。
試験前に勉強しなくてはいけないのに、部屋の掃除に精を出してしまう中学生みたいです。
一般社会に付いていけない意思決定の遅さは致命的な欠点です。
もう政治が昭和初期くらいに”オワコン化”していることに若者たちはなんとなく気付いています。
都知事選での茶番
都知事選でも、みんな公約がどうかなんてあまり気にしていませんよね。
不正をしない人物かどうか?を一番気にしていませんか?
だいたい、公約なんてあってないようなもので、どこでどう方向転換するか分かったものではありません。
「小学生の将来なりたい職業」と同じレベルです。
なんだかんだ言い訳を上手いことして、自分たちの都合の良い方向に走っていくことを国民みんな分かっています。
なので、「無駄に税金を使うやつでなければどれでも良い」というのがみんなだいたい思っていることでしょう。
そんな人に何億の税金を使って選挙するのだから、まぁ無駄使いだし、しない方が良いと思います。
だれでも良いんですよ。ほんとに。どうせみんな期待していないのですから。
政治家の信用なんてもうとっくに地に落ちています。
政治を捨てて若者が向かうのは?

行動が信じらないくらい遅い、ヨボヨボのオワコン政治を捨て、若者はどこに向かうのでしょうか。
政治が自分たちを救ってくれそうにないと何となく気付いた若者たちは、何に希望を見出すのでしょうか。
大企業の提供するサービスです。
最近、米Facebookがネットが未だに使えない環境にいる40億人に向けて、ネット接続用無人機「Aquila」の試験飛行を開始したというニュースがありました。
これが実現すれば、アフリカの奥地で、現在ネットが接続できる環境にない人でも、端末さえあればネットが使えるようになるとのことです。
これって、規模的にも社会貢献度でも、世界的な公共事業と捉えることもできますよね。
今はロケットの開発を行ったり、宇宙産業でも国や政府の代わりに企業が優秀なものを開発しています。
それこそ、昭和初期くらいには政府が莫大な予算を投入(政府は企業と違って、お金が湧いてくる環境にあるので、節約という概念がありません。)して行っていたことが、ローコストで企業が行うようになってきています。
例えば、今私達が自宅で暇な時にネット回線でYou Tubeを見れるのは、通信産業の各企業が努力し、各家庭に高速かつ安価な通信技術を提供したからです。
15年くらい前は家でYou tubeなんて、動画は止まるし、高額だし、見れたものではありませんでした。
社会の進化に伴い、個人が使えるリソースが増えると、例えばユーチューバーなど新しい文化が生まれてきます。
つまり、今の時代、社会の進化に政治はあまり関係なくなってきており、代わりに大きな規模の企業がそのカギを握るようになってきています。
日本の若者たちは、安倍晋三よりも、マーク・ザッカーバーグの言うことに将来の希望を感じ、信じて、支持するでしょう。
先回りしてちゃんと結果を出し、みんなが便利に豊かになるように考えてくれている。そう思っています。
彼らは嘘で消費者(国民)を騙すと後で自分に良くない結果が帰ってくることを体験的に学習し、知っています。
彼らはだれよりも早く意思決定をして、先駆けて動きます。それが利益を最大化する非常に効果的な方法であることを知っているからです。
そんなことを若者は、「何となく知っている」のです。
政治と企業の役割分担
私は「政治がどうしたら良くなるのか」という議論はもう意味がないと思います。手遅れです。
もう政治自体が”オワコン”であり、根本的な体制やシステムを変えないと、変わらないと思うからです。
そして、それはもう変えることはできない。
なので、私ももう政治に多くを期待するのは辞めました。
勝手に、ある程度税金を無駄使いさせておけば良いと思っています。
待機児童が問題なら、待機児童問題を解決するようなビジネスを始める企業が必ずいつか出現するでしょう。
なぜなら、人が求めているサービスは絶対に売れるし、需要があるのですから。
それを政府に求めても、彼らは自身の利権争いで忙しく、直接文句を言ってこない子供の問題などとても目が向かないでしょう。
信頼できる大企業に社会的問題の解決を期待して、支持しましょう。その方がよっぽど現実的で効果的です。
どうやって支持を表明するのか、つまり、投票するのか?
自分のできる範囲でその企業の製品・サービスを積極的に購入しましょう。
それだけで充分です。
そのかわり、企業にできないこともあると思います。
企業はスピードで圧倒的に政府に勝りますが、収益化に結び付きにくいことは苦手です。国はゆっくりとでも収益を無視した行動ができることが強みです。
例えば、国が進めた方が良さそうなものでは、国全体規模での地震対策やライフラインの強化があります。
ゆっくりと収益を度外視してでも始めて行った方が確実に良いでしょう。
まとめ
政治家に誠実性や国民のために動いてもらうことだけを求めるのは無理があります。
自身の利害と国民の利害が一致していないため、元から同じ方向を向いていません。
一方で、企業は消費者・国民に寄り添うサービスを提供する傾向が強くなってきています。その方が利害が一致し、上手く行くことが多いことが経験的に分かってき始めたからです。
上手く社会の問題を役割分担・分業して、より多くの人が多くの豊かさを享受できるような社会になって行って欲しいと願います。