
将来に悩む方々におすすめの書籍です。世界8か国にオフィスを持つメタップスの代表取締役佐藤航陽氏が記した「未来に先回りする思考法」凄く良いことがたくさん書いてあったので、今回は皆様にこの書籍をご紹介します。
働いてさえいれば給料は増え、役職も付くような時代はとうの昔に終わり、職業的・収入的に未来を不安に感じる人は大変多いです。
そんな中で私達は、どのように将来を見据え、動いていけば良いのでしょうか。
その一つの答えがこの本の中にありました。
社会は加速するように進化を続けています。
江戸時代には身分制度により自由に職業は選べず、生まれた土地で生涯過ごすことが当たり前でした。
今では職業はその頃に比べれば格段に自由に選べ、東京・大阪間を徒歩で歩いて行こうとする人はいないように、当たり前のことが当たり前でなくなってきています。
50年前にはまるで魔法のような機能を持つスマホを今では小学生でも手にする様になりました。
いつでも、時代を大きく変え、人の生活を根底から変えてきたものの中心には最新のテクノロジーがありました。
そんな最新のテクノロジーの今現在の最先端で働く佐藤氏が記した当著は、一世を風靡した企業家が書く、その時の「トレンド」のみの考察を記した書籍ではなく、「いつでも何度でも原点に返って考えることが重要」と説く、永続的・普遍性を備えた名著です。
起業家が書く書籍には現象を「点」で捉えたものが多いのに対して、この書籍ではどのページを開いても「線」で捉えられた考察しか語られていません。
未来を読むことは決して難しくない。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
巨大グローバル企業であるGoogle、Facebook、Amazonなどが予想する世界の未来予想図は驚くほど酷似しています。
著者は、それらの企業のように未来を読むこと(読むだけなら・・と言葉を添えたうえでですが)は決して難しいことではないと主張します。
なぜなら、過去から続く道のりの上に現在、そして未来が存在し、大きく時代が変化する前には、必ず最新のテクノロジーの存在があり、一定のパターンに沿って変化を遂げているからです。
「パターンを知る」
これこそが未来を先読みする秘訣です。
そのためには、人類の歴史の知識が必須です。
近世の封建時代、ごく一部の者だけが富を独占し、貧しい暮らしをしているその他の多くの者は、宗教を信仰することで、その生活に耐え、来世での幸福を祈ることで気を紛らわせ生活していました。
この時代の最新のテクノロジーは「宗教」です。つまり、人類は神と神の信仰の仕方を発明したのです。
やがて、産業革命により、人々は「科学」を発明します。
それまでは、なんだかわからないものを悪魔や魔女の仕業としていたような人たちが、次第に科学を信じるようになります。
テクノロジーの進歩は新しい発見を誘発していきます。
ドミノ倒しのように次々と便利な機械が生まれ、人々の生活は一変します。
仕事の一部が機械化されることで、飛躍的に効率が上がり、大量生産・大量消費の資本主義社会の前提となる環境が整います。
資本を持つ資産家が工場で機械と労働力をフルに酷使し、ひたすら資産を拡大させていくために大量生産を続けます。
それから約200年経った現代、資本主義社会の成熟によりモノ・ヒトの飽和状態となった世界で、「コンピューター・インターネット」が普及し始めます。
人類が歩んだ歴史を知り、転換期にあるものを正しく捉えることでその先のパターンをある程度正確に予測することが可能です。
しかし、厳密に何がどのタイミングで起こるのかということは決して誰にもわかりません。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
この言葉は、多くの他の言葉と同じように正確ではありません。
歴史に学んだら、経験を通して実験・検証を繰り返し行うことで初めてより正確に未来を予測できるようになるとこの著者は語っています。
例えば、科学の分野では実験・検証が重要視されるのに対し、心理学・哲学の分野は実験に重点が置かれていないため、本当かどうかいまいち腑に落ちない、その時の権威の主張が正しいとされてしまいます。
そして、ビジネスの場はその真理を確かめるための実験場として、最速かつ痛烈でリアルなフィードバックを得られる最良の場であるとしています。
テクノロジーとは、「人間の能力を拡張し、人間を再教育すること」である
産業革命では、蒸気機関車などの動力が人間の何百倍のスケールで拡張されました。
近世までは、動力や手足の拡張がメインでしたが、インターネットの普及により、人間の「知性」も拡張され始めていると著者は言います。
コンピューターを現実世界に拡張していくと、それはロボットとなり、逆に現実世界にコンピューターを拡張させていくとVR(バーチャルリアリティ)となります。
そして、そのテクノロジーが普及し、社会の隅々まで浸透していくと、テクノロジーが人類を教育し始めます。
どういうことかというと、アマゾンや楽天などのネット通販サイトは、サービス開始当時、利用する人も少なく、信用できないとして流行らないと言われていました。(実際に私もその当時クレジットカード番号をパソコンに入力するのが怖くて敬遠していたのを覚えています。)
それが、やがて利便性に釣られて社会の隅々まで浸透し、あらゆる人が利用し始めると、それが常識・当然となり、通販サイトの場合であれば、社会における物流サービスの流れが変わっていきます。
まるでテクノロジーの進化に人間が合わせているかのように社会構造が変化していきます。
テクノロジーはこのようにして人間を教育していくのです。
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必要性がないものは淘汰されていく
ビジネスで発展していく分野と言うのは、必ず、その時に市場が求めている=必要性があるものだと著者は言います。
社会に必要とされていないものを供給しようとするほど無駄なことはない。
しかし、この「必要性」は場所に大きく左右されます。
例えば、中国の貧困層の住む場所では、何よりも安心して生活できるだけの衣食住やライフラインが必要でしょう。
しかし、一方で日本では、ある程度の市場が既にあり、商品や物は過剰供給気味で溢れています。
ニートでも結構普通に生活していくこともできるのが日本の現状です。
危機感を持った必要性と言うのは日本では生まれにくく、したがって、「イノベーション」は起きにくいと著者は述べています。
原理・原則に立ち返って考える
例えば、政治はなぜ生まれたのか。
社会が成熟し、人口が増えてくると代表者を選出し民意反映するために施策を行う場所が必要になってきます。
そこで政治が誕生します。これも必然的に生まれたものなのです。
政治家たちは国民の代表者として税金(お金)を徴収し、国民の代理としてその時の社会に必要なものを計画し、作ります。
現代の政治は政治家のための政治であり、既に国民の意思を真摯に反映する政治ではなくなっています。
原理原則を振り返らず、突き進むとこのように形骸化した制度だけが残ってしまい、手段であったはずのものがいつの間にか目的となってしまっている例は大変多いです。
思考停止状態でただ以前続けてたことを必死で続けているだけです。
振り返ってみて、身近なケースでは、私達のリハビリの業界でもこの傾向は多分にあると私は思います。
リハビリの資格は本来、第一次世界大戦での傷病者が社会(職業)復帰するために設けられた資格です。
医師のように病気を治したり、痛みを取ったりするために作られたものではありません。
しかし、理論武装した、誰も完全に理解することが不可能な手技などで痛みを完全に取るとか、治療などと称して疾病を治すもののようにリハビリを捉えているリハビリ専門家も多いです。
これも原理原則を忘れて、手段が目的化してしまっている分かりやすい良い例だと思います。
原理原則に立ち返って考えることは、言い換えると自分が行っていることの目的を何度も何度も振り返り、目的を達成するためのこと以外は行わないという、潔さのことにも繋がります。
政治では国民の需要に答えられないケースを、今後は企業が担っていくようになる
起業家として著者は大変興味深い主張をしています。
文明の進化するスピードは日に日に速くなっています。
そのスピードは、昔では100年かかっていた変化が、今では3年程度で起こるようになっていると言われるくらいです。
しかし、自治体や国家の対応は複雑な承認家過程や膨大な数の人が関与するため、意思決定がどうしても遅くなります。
一方で企業は市場の競争の原理によりスピードが何よりも要求されます。
例えば保育所の増設の話は最近言われ始めたものではなく、もう数十年も前から叫ばれていますが、投票率が低い若年層の意見を政治家は後回しにするため、なかなか実現しません。
また、現代では不正を働く企業やサービスの質が著しく低い企業は、インターネットの普及により口コミで一瞬で拡散し、すぐさま信頼を損ない崩壊していく運命にあります。ブラック起業で有名なあの企業が良い例です。
よって、現代の企業は国や市町村のように公益性を帯びるようになってきていると著者は言います。
限りなく企業の性質が国・自治体に似てきているのです。
具体的には、現在、各大手企業はテレビコマーシャルに数千万円から数億円の資金を注ぎ込みますが、その効果・・効力はごく一瞬です。
時間が立てば多くのコマーシャルは忘れ去られてしまいます。
しかし、例えば、ある優秀な企業が、コマーシャルを放映する資金を使い、日本全国の障害者のために車椅子を無料配布し、そこに自社の名前を記すというような戦略を取った場合、人々から喜ばれ、その企業の収益は確実に上がるのではないでしょうか。
また、有名なGoogleは広告収入で収益を上げていますが、Googleアドワーズでは一般の人もネット上でGoogleと契約すれば、Googleを通して広告収入を得ることができるようになっています。(私のこのブログがそうです。)
これはGoogleにとってはただのビジネスですが、何らかの理由によって肉体労働を行うことが難しい方でも収入を得ることができ、見方によっては公共事業のような働きを持つとも言えます。
このように、政治や国では対応できないケースを企業が担っていくようになると言うのがこの著者の主張です。
これはあくまで個人的な意見ですが、実際、私も今の政治には不信感しかなく、とても日本の山積みの問題を解決できるとは思いません。
しかし、この著者の様に、未来を見据える視点をビジネスのような競争が激しい現場で磨き、研ぎ続けてきた人が考えることならば、的を外れたチンプンカンプンなものにはならないと思います。
例えば、先ほどの保育所増設の問題であれば、保育所を完備した企業が出現すれば、そこに就職したい人が殺到し、人材を選びたい放題になり、企業もあながち損ではないということも考えられます。(これからは労働人口が減少していきます。)
あと、日本では教育の問題が山積みで、特に大学の教育費で悩んでいる家庭は多く、少子化の一因、とも言われています。
IOTやビッグデータで言われている様に、センサー技術が発達し、あらゆるデータをコンピュータに蓄積させていけるようになるのも時間の問題です。
あらゆる大学生の行動や趣味嗜好のデータを取れるようになれば、無料の大学を開校し、そのデータを分析して商品開発や、サービスに結び付けていくことで収益を得ることができるビジネスモデルが誕生するかもしれません。
ネット上での大学であれば、それほど経費も掛からないで済みますし、決して夢物語ではないと思います。
これらはあくまでひとつの案ですが、このように、政府よりも企業がアプローチした方が明らかに問題解決が早いというケースはいくらでも存在すると思います。
資本主義から価値主義へ

著者は、資本主義の限界が見え始めていると説きます。
実際、私達の肌感覚としても、「死ぬほど働いて、自分の人生が嫌な仕事で埋め尽くされるくらいなら、低賃金でも自由に生きていこう」と言う概念を自覚しているかいないかは別として、持っている若者は多いですよね。
これからは資本(お金)以外にも同当、あるいはそれ以上に価値があるもののどれを選ぶのか選択できるようになっていくと言います。
例えば、SNSのフォロワーや人からの注目は、金銭に代えがたい重要な価値です。
資金が0円でも、Twitterでフォロワーが1万人いれば、クラウドファンディングを利用して資金を捻出し、起業することもできるでしょう。
そういった、資本以外の価値にいち早く気付いていた企業がFacebookです。
2014年にFacebookは、年商20億円のメッセンジャーアプリ「Whats App」を2兆円で買収しました。
この現象を資本主義社会の軸である資本(金銭)でいくら考えても答えは出てきません。
しかし、Whats APPは世界で4億人のコミュニケーションを支えるインフラ的な役割を持っています。
広告収入を得るようにシステムを少し変えれば、たちまち多くの資本を稼げるようになります。
あとはどのタイミングでそのように変更を仕掛けていくかという問題だけです。
いつでもお金の成る木をFacebookは2兆円で購入したということです。
この例のように価値主義の社会では、一見すると資本との関連性が薄いように見えるものでも大変な価値を有無可能性があるということです。
実際、今後、Twitterのフォロワーと物々交換をしながら、ほとん働かずに生活できてしまうような人物が現れても不思議ではないと思います。(評価社会)
価値社会では、資本ではなく、情報が貴重な価値を持ち、それをいつでも資本に変えられる方法論を持っているものが豊かに暮らす時代になるとされています。
まとめ
私の意見と書籍紹介がごちゃまぜになっているので少し読みにくいかもしれません。
実際の本を買って、どこまでが著者(佐藤氏)の意見なのか、そこら辺は自身の目で確認してみて下さい。(笑)
とにかく、この本は腑に落ちると言うか、「いや~そうなるだろうなぁ」と読了した後に思う人が多いと思います。
多くの人が肌で感じているが言語化できていない今後の方向性が綺麗にまとめて紹介されていて、読んだ後に「自分が感じていた何となく変な感じって言葉にするとこう言うことだったんだ」と妙にスッキリしました。
特に政治のところなんかは、本当に出口の見えない闇の深い問題だなといつも思っていたのが、すっきりとして、すぐに誰かに伝えたくなりました。
本当にお勧めの書籍で、値段以上の価値は充分にあります。ぜひ読んでみて下さい。