「信じれば夢は叶う」は本当か?


「信じれば夢は叶う」って言葉ありますよね。あれって本当なのでしょうか?




成功している人とかが良く言ったりする言葉ですが、一見真実なような気もします。しかし、一方で胡散臭いというか、「そんな子供だまし・・」って思う人もいると思います。

一体どう解釈すれば良いのでしょうか。

「恥の多い生涯を送ってきました。」

私は一度法学部を卒業し、そこから一般企業で社会人として3年働きました。

(あ、上の見出しは有名な作家の書き出しを真似ました。)

 

その後に再びリハビリの専門学校に入り、現在理学療法士として働いています。

 

 

始めに全く今の職業と関係ない法学部を目指した理由は、「カッコ良さそうだから」です。

当時は本当に何にも考えておらず、ダメもとで受かったら親も少しは喜ぶかな、と思って法学部に受験しました。

 

全然やる気もなかったし、模試とかも行ってないし、家でも本当に全く勉強しませんでした。

 

合格した時、「ホウガク?何それ?おいしいの?」状態でした。

やった覚えのある受験勉強と言えば、学校で授業中に、過去に学校で配られた参考書を一からずっと解き直しただけでした。

 

「参考書買ってもどうせやらないし、無駄やわ。もったいない。」って思ってました。

 

やっていると、少し面白くなり、学校にいる間は寝るか、参考書を解いているか、という状態で半年位続けました。

 

 

で、法学部に入学すると、ほとんどの方がそうであるように遊びまくりましたね。毎日バイトをして稼いで、そのお金で色な遊びをしました。

 

麻雀、パチンコ、スロット、競馬など、友達と一緒に何回かやりました。僕の生涯でギャンブルを普通にやってたのはあの時だけです。今は全くやる気もしないです

 

 

法学部での勉強はと言うと、「判例」と言って、過去の裁判の事例を覚えることがまず重要だと言われました。

 

始めは覚えようと思って勉強していましたが、「昭和初期の判例とか覚えて現在の裁判に活かす、って社会情勢変わってるのに無理じゃない?いつまで過去に囚われるのよ・・」と思い始めると、もうだめでした。頭に入らなくなりました。

 

 

 

自分の感覚として、「過去のことを覚えるだけ」というのは、何となく非生産的であまり意味がない気がしました。

 

当時は新しいことを創造していく、というのが生産的なことで意味のあることだと思っていたので、(今では過去のことをまず習って、新しいことを作ると言うのが何かを創造するときの基本だということが分かります。)、「法律の勉強ってつまらない。意味がない。」って思い始めると、もうダメでした。

まったく勉強しなくなりました。

 

 

それでも、日本の大学は寛容で、授業にある程度出て、テストがある程度できれば卒業できます。

授業中は寝てても良いし、少し位さぼったって何ともありません。勉強できる友達に、テストに出そうなところ全て教えて貰えましたしね。

 

卒業論文は確か、当時アメリカで話題になっていた「隣人問題・訴訟について」という題で、その頃自分が画家の岡本太郎さんの本にハマっていたので、その内容を丸パクリで、強引に隣人訴訟に結びつけるという、本当にでたらめなものを書きました。

 

 

当時から文章を書くことは好きでしたので、熱中して書いたのを覚えています。

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私の人生は今まで勢いだけで来て、あっちにふらり、こっちにふらりと興味がある方に進んでいるだけでした。

それなりに楽しかったのですが、そこには夢や計画性とか、目標が全然なかったです。

 

 

よく、「目的地のない船は彷徨っているだけでどこにもたどり着けない」って言われますが、これって本当だと思います。

決して、頑張ってない訳じゃないんですけどね。

その人なりに頑張っているのに、何も得られない、どこにもたどり着かない、というところが悲しいところです。

夢を持つと、「したくなくなる」

まず、人生、目標を持って進むことが大事だと思います。

 

私は最近になって目標を持って人生を生きるようになりました。

 

 

そうすると、何が変わったかと言うと、はっきり言って大して変わりません。

急に能力が上がる訳ではないですからね。

 

しかし、「何をやらないか」と言うところをすごく考えるようになりました。

夢を持つと、無駄なことをしたくなくなります。

 

自分が目指すところ以外のことに少し興味を持っても、時間を消費してそれをやってみようと思わなくなりました。

言い換えると、自分の人生(時間)を目標達成のために投資しているという感覚が芽生えてきました。

何があっても続けること

「人生は暇つぶし」という言葉もありますが、これは目標がない人生の場合の言葉だろうと思います。以前の私が本当に「暇つぶし」で生きている状態でした。

 

目標を持つことで、時間を暇つぶしに使うのではなく、自分の目標達成のために投資しようと思うようになります。

 

 

私は決して器用な人間でもなく、賢くもなく、どちらかと言うと、普通より少しどんくさい部類の人間です。

 

でも、一日一歩でも構いません。自分の理想とする世界に少しでも近づける方法を試して、間違えても修正して、ってことを繰り返していきたい。
そして、ブログを始めてからそれが自分にもできるのではないか、と思えるようになりました。

 

間違えても、何があっても続ける、ということがすごく大事だと思います。

プライド、それは例え相手が居なくてもあなたの行動を邪魔する

みんなプライドってあるじゃないですか。

このプライドって他人がいる時に存在しえるものだと思うかもしれませんが、実はそうでもないです。

 

家で一人でいる時にも必ずあります。

 

何かを間違えて、失敗して、例え誰も見てなくても、何となく嫌な気持ちになりますよね。

これはプライドが傷付くからじゃないかなと思います。

 

プライドが傷ついた状態って、「不安」にかなり近い状態だと思うんですよ。

「自分は普通の人が簡単にやっていることもできなくて、下らない、しょうもない人間かもしれない。これから先も苦労するかもしれない。」そんな感覚です。

 

 

 

私の例を挙げると、昨日の話ですが、プリンターを買って無線でパソコンと接続するのに4時間も掛かりました。

四苦八苦した結果、電話でメーカーに問い合わせてやっと接続できるようになりました。(セキュリティソフトの設定に問題があったようです。)

「ホント普通の人ならすぐにできそうなことに何でこんなに時間がかかるのだろう、、、」

と落ち込みましたが、これも勉強で、少しでも前に進んでいると思うと少し嬉しく思えるようになります。

 

私の歩む一歩は他の人よりも遅くて小さいかもしれません。

でもそんなこと関係なくて、とにかく夢や目標を目指して進むことが大切だと思います。

 

だって、そんなこと気にして何になるの?って思います。

自分の足が止まるだけです。決して良いことにはなりません。

夢を持つためには「枠を外す」

しかし、夢を持つことって簡単ではありません。

私が大学生の頃の自分に「夢や目標を持て!」といっても簡単に持つことなんてできないでしょう。

 

目標って、「枠」の中で考えると簡単には出てきません。

いや、正確には出てくるのですが、それは純粋な夢ではありません。

 

この「枠」ってむちゃくちゃ自分で意識するのが難しくて、ほとんどの人が枠の中で夢を描いていると思います。

 

自分の器と言うか、自分の置かれている環境を誰に求められている訳でもないのに、勝手に決めつけて、「どうせ無理だろ」って諦めに近い考え方がもう身体の芯まで刷り込まれている。

 

それは、小さい頃に親に教えられたことかもしれないし、会社に入ってから”一般教養”として社会的に刷り込まれたことかもしれません。

 

でも、「何を刷り込まれたのか?」を自覚することは本当に難しいです。

ちゃんとした「思考」なんてほとんどの人ができていない!

話掛けられたり、人が外部から何か刺激を受けたとき、反応を返す際にいちいち、ちゃんと「思考して」返せる人は稀です。

 

自分では考えていると思っていても、たいてい「規制された枠」の中で考えています。

本来の純粋な思考というものからかけ離れた、悪い意味でのオリジナルの思考です。

 

 

 

例えば、私はすぐに魚釣りができるような海辺の家を買って、娘たちと毎日海で遊んだり、魚釣りをしながら過ごすことが一つの夢です。

 

こんなこと数年前には考えもしませんでした。だって、家を買うお金がない、仕事はどうするんだなど、無理だと思うことを挙げればいくらでも挙げれますから。

 

そして、夢を描くときにその無理だと思うこと挙げることから考えることが癖になっています。

これが「悪い意味でのオリジナルの思考」、「枠」です。

 

そして、次には「自分の親が億万長者だったらなぁー」とか考えちゃいます。

もう、一気に飛躍して現実逃避してしまうんですね。

こうして考えられたことが一般的に「夢」として語られることも多い様な気がします。

よく「宝くじ当たったら・・」とか言うじゃないですか。

 

 

これは本当の夢ではなく、枠の中の夢です。

いわば、見る夢ではなく、見さされている夢です。

 

 

このような夢を追いかけることは誰にもできないはずです。

だって、自分が本当に想う夢ではないからです。

本当の心の底から望んでいることではなく、突き詰めると、しょせん「他人」の夢です。

 

だからこんな夢をいつまでも信じていたって、叶うはずありません。

追いかけることもできないし、途中であきらめてしまうことでしょう。粘って堪えて、なんて出来るはずがありません。本当に自分が欲していることではないので。

まとめ

本当に自分が想う夢とは、その枠からはみ出したところにこそ存在して、いつまでも勝手に思い出してしまう、強烈に自分が求めるものだと思います。

 

 

「夢を信じれば叶う」と言う言葉。

この夢が本当に自分の追い求める、枠を超えたところから出てきたものならその夢は叶う可能性はあると思います。

あなたは人に見さされた夢に振り回されていませんか?

夢を持ちたいと願う人は、夢を見つける前に、まず、あなたの「枠」は何なのか考えてみると良いかもしれません。

そこからしか、「信じれば叶う夢」は決して持てないと思います。

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