リハビリにおける臨床指導・教育の基本的なマナー・方法について

リハビリにおける指導・教育


リハビリにおいて「人に教える」という技術はかなり重要な要素です。今回は患者さん・後輩問わず、「教える」ことについて基本的な概念をまとめてみました。




仕事をしていると、患者さんに動作・運動を「教える」、後輩にリハビリについて「教える」、家族さんに家での生活の仕方を「教える」など、様々な場面で人に意思を伝達し、その通りに従って頂く場面が多く存在します。

 

理学療法は、要素を簡単に分類すると、

  1. 機能障害に対する治療的な要素
  2. 活動障害に対する指導・練習的要素
  3. 参加障害に対する改革・教育的要素

があります。

 

また、理学療法の技術には、主に運動療法、物理療法、義肢装具などがあり、それらを用いて対象者の問題の解決・改善に対応することが必要です。

 

 

しかし、どの技術を使うにしろ、運動療法を徒手的に行うか機器を用いて行うかを問わず、最終的には患者さん=対象者を取り扱うことに変わりはありません。
従って、運動療法を行う際の基本姿勢として、いわゆる対人サービスとしての指導マナーに留意することが必要となります。

人を「トリートメント」する指導・教育

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”丁寧に取り扱う”ことが指導するということ

英語の「treatment(トリートメント)」は一般的には”治療”を意味します。

その語源は動詞の「teat(トリート=取り扱う、手当てする)」にあります。

運動療法を徒手的に行う場面では、当然ながら心身・人が対象になります。

しかし、物理療法など機器を用いる場合でも、それをいかに大切に、かつ効果的に活用するかによって対象者に及ぼす影響が左右されることから、結果的には人を取り扱うことと大差はありません。

 

治療、指導、練習という概念は技術を基本にして、人への思いやりが最低限必要です。

もちろん、思いやりと言っても、画一的で表面的な態度だけを言うのではなく、研鑽を重ねて技術水準を高めると同時に、いわゆる人間性(人間味、感性など)を高め、かつ自身の世界観・見識を拡大する必要があります。

つまり、技術水準と対象者を思いやる心とのバランスが保たれていることが、指導者の基本的な概念として重要です。

上記のことから指導には二面性があり、技術としてのハードウェアと、人への思いやりとしてのソフトウェアが混在していることを認識しておく必要があります。

 

言うまでもなく、対象者が、自身の問題の解決・改善を専門家に委ねるのは、その方法論としての技術に期待するところが第一です。一方で指導者が対象者の悩みや不安などに気を配りながら、treat(取り扱う)することで対象者はより安心してその技術や指導を受けられます。

 

一方、「therapy(セラピー)」も、「治療」と言う意味を持ちますが、これは特定の治療手段を用いる時に使う言葉です。

よって、人を教育・指導する上での基本概念は「セラピー」ではなく、「トリートメント」に含まれていると考えた方が自然かもしれません。

”Art of Healing” 創造するための技術

「Art of Healing:アートオブヒーリング」という言葉があります。

アートオブヒーリングとは、直訳すれば、”臨床における芸術性”です。

これは、科学的な研究によって開発された一般的な技術を、臨床場面で対象者に施すときに、対象者の人間性を思いやり、各人の個性・個体差などに応じて「対応をアート(創造)する」という意味です。

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自分の持てる(既存の)技術を組み立て、駆使し、治療を「創造する」という考え方が大切。

この言葉の意味を汲むと、リハビリでは臨床家の創造的な適用・応用能力の力が求められることになります。

 

「技術」はあくまで対応を構築・創造するための材料でしかありません。

よって、治療の本質は、それをどう組み立てるか、創造するかというところに最も価値が置かれるべきです。

技術の習得

礼に始まり礼に終わる
技術を習得するのに最低限必要なものは、”礼儀”と言うこともできる。

技術の習得に関して、日本の伝統的な武芸を例にとると、”礼に始まり礼に終わる”とされています。

武芸には敵や相手を必要としますが、それなくしては己の技を磨くことが難しいことから、相手の存在を尊び、礼を尽くすという概念があります。

リハビリにおける技術研鑽も基本的には同じであり、対象者がいることで研鑽することができます。

 

技術の習得に関しても、基本的に全ての学習は体験に基づき、それに加えて感覚情報を通じて外界の状況を認知することも学習条件の1つになります。

研鑽を重ねて、より適切で高度な技術を習得することが、対象者に対する指導態度の基本でもあります。

 

技術の習得には、優れた技術を有する人から何らかの方法で直接的に教えてもらうことが理想的です。

いわゆる「メンター・師匠を持つこと」が大切です。

 

技術の習得は運動学習に分類されると言えますが、技術が高度になればなるほど時間を要するのが当たり前です。

これはリハビリに限らず、舞踊、スポーツ、工芸、絵画など全ての領域について言えることです。

上達を阻害する因子には様々なものがありますが、いわゆる基本を無視して自己流で学習を始めた場合もそのうちの1つです。まずは基本のパターンを学習し、後に自己の体型、体力などに合わせて独自の方法を徐々に探っていくとスムーズにいきます。

また運動学習の観点から言うと、指導者を介したフィードバックだけでなく、いわゆるイメージトレーニングを活用して自己を客観視しながらフィードフォワードに集中することが大切です。

 

リハビリにおける「技術」には「普遍性」の意味も含まれます。

これは、誰がその技術を用いても、その有効性にばらつきが少ないことを意味します。

 

この視点から言えば機器を用いた場合と、徒手的にリハビリを提供する場合とのギャップが大きく、技術習得過程において格差が生じやすいといえます。

最低限の臨床のマナーとして対象者に最高水準の技術を提供することに心がけることが大切です。

障害像・ニーズの把握及びインフォームド・コンセント

対象者の問題の解決・改善を援助する者にとって、まずは問題をいかに的確に把握するかが大事です。

そして対象者の訴えるニーズを把握し、対象者の障害像を照らし合わせて、それらにどれほど答えられるかを検討し、同時に対象者に説明し同意を得ておく(インフォームドコンセント)必要があります。

 

そのために、指導者は技術評価を有することと、対象者の訴えやニーズを認知する前段階として良き聴き手であり、同時に対象者が理解できる言葉で問題点や治療指導のプログラム内容を説明して、同意を得ておくことが必要です。

コミニケーション能力

コミュニケーション技術

コミニケーション手段には、代表的なものに聞く、話す、読む、書くなどの手段があります。

良い聴き手とは、単に聞く(hear)だけでなく、傾聴(listen)して対象者が伝えようとする意図を正しく理解・認識することができる者のことを指します。

場合によっては対象者が言葉以上のサインを発していることもあります。

必要に応じて、ボディーランゲージなどのノンバーバルのコミュニケーションも行い、意思疎通を図る必要があります。

 

対象者に何かを伝える時も、極力専門用語を避けることが必要です。

また病棟や家庭でのプログラムを指導するときは図解したものを渡しておくなど、できるだけ伝わる工夫をすることが大切です。

言葉はその使い方次第で大きく印象が変わり、様々な影響を及ぼすことにもなります。

使い方によっては人を活かすことも、殺すこともできるほど大きな力を持っています。

言葉は良い指導者の重要な基本要素の1つといえます。

オリエンテーション

指導者は普段の仕事に慣れていますが、対象者が初めて運動療法などの指導受けるときは未知の体験になります。

よって、上記のインフォームド・コンセントの兼ね合いでも対象者には運動療法などのプログラム内容を充分にオリエンテーションしておくことが大切です。

 

人が何かを恐れ、不安を抱くのは、これから起こりうる内容を知らないことによることが多いです。

事前に予備知識や心構えを持ってもらうように関わる必要があります。

プライバシーの保護

対象者に関する医学的情報やその他の情報は指導者にとって必要です。

しかしそれらの情報を関係者以外に漏らす事は守秘義務に反する事になるので注意を要します。

また検査や指導上、対象者の身体をさらけ出す必要性がある時があります。対象者がそれを拒まないのは、その必要性を認めたときであるはずです。

指導者はそのような場面では第三者の視野に入らない様にするなどの配慮が必要です。

指導者の偏見、感情のコントロール

一概に指導者といえども、価値観は様々であり、種々の事柄について好き嫌いもあると思います。

それは個人的なことであり、他人がとやかく言うことではありません。

 

しかし、仕事の上で多種多様な人間を対象にする指導者(専門家)は、私的価値観で対象者に対して偏見を抱き、差別することがないようにしなければなりません。

私的な感情を表に出して対象者に不快感を与えることがないように感情をコントロールする必要があります。

 

よく、飲食店に行くと新人のアルバイトの人に怒鳴っている店員さんがいたりしますよね。

あれも、「客を不快にさせない」という配慮が足らず、感情のコントロールができていない良い例ではないでしょうか。

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感情的に怒ることと、相手を想って厳しく戒めることは別です。

厳しく戒めることは、指導者が介助者の安全、健康管理、セルフケアの支援などを行う上で、対象者の理解度によっては必要な場合もあると個人的には思います。

自己の限界の認識

プログラム内容は対象者のニーズを満たし得るものではなくてならないのは言うまでもないですが、指導者は自己が提供しうる範囲でしか要望に対応できないことを常に認識しておく必要があります。

自己の能力を超えると判断した場合には、素直にアドバイスを求め、より適切なプログラムを提供するように努める必要があります。

自己の技術を過信したり、アドバイスを受け付けないのは対象者の存在を想うよりも自己防衛を優先することになり、本人の成熟が期待できないばかりでなく、専門家としての倫理に反する行為であるとも言えます。

 

また対象者から種々の質問を受けることもあります。

それらの質問に充分に答えられないと思った場合、ごまかしたり、適当に取り扱うことがあればこれも倫理に反する行為です。

責任ある回答ができる準備をするか、それに答えられる適任者に問い合わせることをお勧めします。

まとめ

指導・教育する対象者が後輩であろうと、患者さんであろうと「人」であることに変わりはなく、上記の項目のような基本的な教育・指導マナーは同じです。

後輩指導で悩んでいる方も多いと思いますが、基本的には患者さんへの対応と同じように心掛ければ間違いありません。

 

しかし、本質的に他者を適切に指導することは大変難しく、指導しているつもりでも単なる見かけ上の行為であることが多いです。

ほとんどそうだ、と言えると思います。

 

よって指導者(専門家)としての立場にあるものは、常に自己研鑽を重ねる責務があると同時に、決して自分は完璧な水準には至らないという自覚を持ち、対象者からも学び取る謙虚な姿勢が必要だと思います。

 

指導や教育というと、良く勘違いされるのが、対象者を「抑圧」することでコントロールしようとすることです。

 

しかし、本当の意味での指導や教育というのは、決して抑制を目的としたものではなく、「解放」に焦点が置かれたものです。

最低でも、そこを取り違えることがないようにしたいものです。

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