物語「ある文豪の1日」


今回も物語を作りました。時間がある方は良ければ読んでみて下さい。

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ある文豪の1日

私は都心部の安いボロアパートに住んでいる。

いつでも、擦り切れて尻のところに穴の開いた愛用の座布団に座って、机の前でウンウンと唸っている。

 

横で愛猫があくびを欠いている。

私はその横で作品を書いている。

 

 

私は10代、20代と本ばかりを読んで過ごした。

暗い地味な人間だ。

とても健全な青春時代とは言えないが、私にはそれが一番性に合っていた。

 

 

人間の生活は、庶民の生活は、とにかく何でも地味で退屈である。

 

俗世間の生活をするために、フライパンを買うとか、玄関マットを買うとか、朝食を食べるとか、朝起きて、靴下を履いて、靴に足をねじ込んで決まったところに出かけていく、という何気ない行動・生活に、もう私はすっかりうんざりしている。

 

生活で必要な全ての動作全てを忌々しく感じる。

 

興味が無いことを、さも興味がある風に、「玄関マットは緑のふわふわのものが良いね。」などとお洒落を気取って選んでいるフリをすることに、もういい加減疲れた。

 

本当は、そんなもの、ダンボールの切れ端でも玄関に投げ捨てておけばよいのである。

 

 

 

私が作る小説の世界では、自分がやりたくないことは登場人物にもさせなくて済む。

鍋が擦り切れてボロボロなので鍋を買いに行くという、つまらない、くだらない描写を描く必要はない。登場人物が靴下を履く描写も、もちろんカットだ。

 

小説の世界では、自分の思うように「世界を編集」できる。

小説家なんてものは物語を作っているのではない。

そんな大それたものではない。

ただ自分の都合の良い様に現実を編集しているだけである。そして登場人物と自分を重ね、気持ちよく妄想しているのだ。

 

職業として名前を付けるとしたら、「弱虫現実編集家」といったところだ。

そんなものでお金を貰おうと考えているのだからタチが悪い。

 

現実世界では「あっ、すいません」が口癖の、めっぽう気が弱い人間のくせに、実際は人を押しのけても自分の好きなことをしたい、自分勝手な私にはぴったりである。

 

私の様な人間は、リアルな現実世界では、何をしてもただ自分と他者との感覚の違いに戸惑うばかりだ。

 

夏目漱石は言った「とかく、この世は住みにくい」

激しく同意。

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人は何のために生きているのか。

そして、退屈でつまらない地味な生活を延々と続けることができるのか。

 

それは己の理想の世界がいつか完成することを心待ちにしているからだ。

それに少しでも近づきたいからだ。

近づけると信じているからだ。

 

人はいつでも楽観的である。

我慢をすれば、努力を重ね耐えることで、年月を重ねれば・・。

 

それを人は、「希望」と言う。

 

 

そんなものいつまでも延々と私は待ってはいられない。

今すぐにでも手に入れたい。

今すぐ体験したい。

「ユニバのスピードパス的なもの」が欲しい。

希望へのスピードパスだ。

 

 

だから、私は今すぐに目の前で理想の世界を作る。世界を都合の良いように作り変える。

こうして私は自称小説家を職業として選んだ。

 

そしてボロアパートの愛猫の横でウンウン唸って毎日を過ごしているわけだ。

 

 

「生活」と言うのは、この日本では「お金」とほぼ同義である。

 

お金を疎ましく思う人はお金から嫌われる。

同じように、生活を嫌うものは生活に嫌われる。

 

よって、私は当然貧乏で、生活はギリギリだ。

ギリギリ歯ぎしりをしながら100円均一のレジで108円払うくらいに、ギリギリだ。

image

・・・・そんなくだらないダジャレを考えていると、突然、横で寝ていた愛猫が、まるでさも重大な何か思い出したように、スクッと立ち上がり、私の部屋をスルリと出ていった。

 

どんな重大なことを思い出したのだろうか。

 

 

たぶん、おしっこだろう。

彼にとっては重大なことに変わりない。

 

猫は鍋に穴が開いても鍋を買いに走り回る必要がない。

「フライパンはテフロン加工にしようかしら?」などと深夜の通販番組を見て悩まなくても良い。

 

猫は生活の為に生きることをしない。

しなくてよい。

実に羨ましい。

 

 

私はいつもウンウンと汚い狭い部屋で唸っているので、たまに訪れた人に「大丈夫ですか?どこか体の調子が悪いのですか?」とよく聞かれる。

 

「なかなか良い質問だ。」と、もったいぶってから、

「私は大丈夫だ。大丈夫どころか、私は居眠りしていびきをかいているだけだ。実に心地よい。」

と真実を告げたいが、そうはいかない。

 

私はさも壮大なスケールの難解な作品を考案・執筆しているように見せることも仕事の一つである。

 

いや実際に、そんな小説を書いてみたい、とは思っている。

 

そのようなものを書いて、あわよくば大ヒットして大儲けをしたい。

そして、私が忌み嫌っている生活の細々としたことを、お手伝いさんにやってもらったり、一切自分でそれらを気にしなくても良いようになりたい。

わたしは、ソウイウモノニナリタイ。カゼニモマケズ。

 

 

例え、外から見ていると居眠りしているようにしか見えないとしても、私にはそのような偉大な思想がある。

「激しく、金儲けがしたい。」

あっ間違えた。

「偉大で壮大な作品を書き、皆にこの世の真実を広めたい。」のだ。

 

そこいらのおじいさんが陽だまりでうつらうつらしているのと私のそれとは訳が違う。

偉大で壮大なこの世の真実のために私はウンウン唸っているということである。

 

いわゆる「産みの苦しみ」の権化が私である、と認識してもらって構わない。

私の様な偉大な思想家の想いを、凡人が簡単にちらっと肉眼で見て、「居眠りをしている」などと判断することはできないものである。

 

 

 

 

ここで少し皆様に役立つ情報をお教えしよう。

私は先ほど言った様に、気が狂ったかの様に書籍を読み漁った時期がある。

おそらく今までに数千冊は読んでいる。image

そして、私はその本の内容を全てまとめて要約することができる。

 

これからその内容を記す。

この内容を読めば、あなたは数千冊の本を読了したのと同程度の知識を得ることができる。

 

 

類稀なる、極限まで研ぎ澄ました、私の「都合良く世界を編集する」能力により、数千冊の本の内容をたった5文字に要約・編集することに成功した。

 

 

その5文字を読む時間はたった1秒。

1秒であなたは数千冊分の知識が手に入る。

 

 

では発表する・・・。

 

 

 

 

・・・・これ以降の文章は有料になります。

 

 

 

 

 

 

あっ、嘘です。

 

 

 

 

では、改めて発表する。

 

 

それは、「認めてくれ」の5文字だ。

 

 

どんな書籍も全て結局はこれが言いたいのだ、ということに数千冊を読み終えて気付いた。

 

 

どんな難解な書籍も、手を変え、品を変え、どうでも良いことばかりみな書いてあるが、何という事はない、すべては「認めて欲しい」という作者の声が姿を変えただけのことである。

いわゆるマズローの言う、承認欲求が過剰に噴出したもの、それが全ての「作品」だ。

 

 

私も書く立場になってみて分かったのだが、作家生活が長ければ長いほど、「作品には魂がこもるようになる」と言われる。

作家だけではない、全ての専門職がそうだ。その仕事には魂が宿る。

 

 

 

 

 

 

しかし、魂なんて作品に載る訳がないのだ。

冷静に考えてほしい。

そんなことがあり得るだろうか?

大体その前に、魂が一体何なのか説明して欲しい。きちんと科学的に説明できる人はおそらく大槻教授くらいであろう。

 

 

つまり、この世の作品と言うものは全て、「承認欲求の塊」だ。

 

社会生活、世俗的な成功、お金、全てを捨ててその作品に挑む作家は、その作品が認められなければ、自分の存在・生命の全てが否定されるように感じる。

 

だから「認めてくれ!!!俺を!!!」となる。これがその人にとって最高傑作の作品である。

いわば、作者の最後の叫び、断末魔である。

 

まだまだ作品以外にも生活のことを上手くやっている、もしくは諸々を上手くできる作家は、作品以外のことでも認められることもあるので、「認めてチョーだい。」と言う風な軽い調子で作品を書ける、いや、書いてしまう。

 

 

知っているだろうか。

天才と呼ばれる者たちの多くは、酷く不器用で、社会に順応できず、作品を作ること以外に社会とのつながりが無かった者も多いのだ。

 

だからその者が作る作品は、捨て身の強烈な「承認欲求の叫び」となって私達に強く響くのである。

 

 

 

 

この話で一つ注意しなければならない「矛盾」がある。

 

これは作家や作品だけに限ったことではないが、よくやってしまう間違いに、「全力を込めると、全力が出せる」という勘違いがある。

 

脳科学で証明されていることだが、人間が全力を出そうとすると、体は強張り、思考は緊張・不安で停滞する。

 

よって普通は、「全力を出そうと思うと、全力を出せない」

これは真実だ。

 

 

 

現役時代の長嶋監督を見て欲しい。いつでも常にリラックス状態である。

逆にその息子は、父親の威光のせいで、常に緊張してバッターボックスに立つ。

 

どちらが結果を残せているかは、みなさんの知っている通りだ。

image

少し余裕があるぐらいが、より全力に近いものを出せるのである。

 

 

そういった叡智を携えている私が故、生活においても常に全力を出さない様に細心の注意を払っている。

 

参考までに、私の1日をご紹介しておこう。

 

30分作品作りに取り組むと、1時間休む。

1時間休んだあとは、仮眠を2時間ほど取る。

たまに3時間になることもある。そこらはテキトーだ。

 

仮眠を取った後は、テレビ鑑賞する。偉大な作品を作るにはインスピレーションが必要だ。

そして、風呂に入り、さっぱり気持ちよくなったら布団に入る。

 

 

こうして、私の偉大な思想家兼作家の1日が過ぎて行くわけだ。

 

私の1日の全ては偉大な作品を書くための「偉大な準備」と言ったところであろう。

合間に少し挟む息抜き・リラックスタイムは、いわば、「祈りの儀式の時間」とでもいうべきであろうか。

 

かくして私の全力は作品に反映されるのである。

 

 

 

 

君たちは「頑張り過ぎているから、結果が出ないのではないか」ということを疑ったことはないのかね?

程よく頑張るということを覚えた方が良いのではないかね?

ガチガチの体で、ホームランを打とう意気込んで、バッターボックスに立って、毎日豪快な空振りをしているのではないのかね?

 

全ての努力が、お金や、生活や、人間性や、あらゆるものにプラスの効果を持つと思って、何でもかんでも精いっぱい頑張っているが、果たしてそれは本当に事実なのかね?

 

本当にそんなものであなたの理想の世界が達成できるのかね?

哲学者ルソーは言った。
『ある者は明日に、ある者は来月に、さらにある者は10年先に希望をかけている。一人として、今日に生きようとする者がいない。』

私は今すぐに「理想の世界」を作ることができる。

 

あなたの求める理想の世界は、本当は辛くて苦しくて仕方がない努力を、楽しい努力と自分に錯覚させなければ頑張れないような、そんな生き苦しい世界なのかね?

それは本当に「希望あるいは理想」なのかね?

 

 

私は今日も夢を見る。

そして作品を作る。

その理想の世界では、誰でもなりたいようにすぐになれるのだ、努力などしなくとも、いとも自然に。

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