お金で何でも買える?「結局、本当に大切なものは全部タダ」


今から10年前の2006年、ホリエモンこと堀江貴文さんが、「お金で買えないものはない」とテレビで発言して世間を賑わせていました。

確かに、お金で買えないものはないのかもしれません。しかし、「お金で買えるものはその程度の価値しかないものばかり」です。




振り子の文化と八百万の神

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日本は今でこそ経済大国として知られ、先進国の立派な国になりましたが、今から約80年程度さかのぼった戦前は決して裕福な国ではありませんでした。

戦争に敗れ、アメリカの指導のもと、先進国に追い越せ、追い抜けと死に物狂いで全国民が働き、やがて今から30年程前の1980年台に日本の経済は絶好調を迎えました。

 

それまで「清貧=清く貧しく、を美徳とする」と言われる文化を持ち、ひっそりと自分達の家族が食べられるだけの食料を自給自足して生活していたような人種が、汗にまみれて働き、その後、アメリカ式の合理主義・資本主義を基本として、株・不動産取引を行い、利益を拡大していき、物的な豊かさを極めていきました。

 

平家物語の冒頭にもある、「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す」

栄える者はいずれ衰えます。

 

文化の進化、社会の成熟の過程はよく「振り子」に例えられます。

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あっちが正しいと言えば皆がそっちに向かって競うように走り出し、時間が経つとまるで重力にでも引っ張られているかの様にその速度は徐々に低下していきます。

やがて「やっぱりそっちは間違っていた!」と反対方向に走り出す者が現れます。

 

 

破壊的先駆者であり、革命家である彼は、誰よりも経済的な利益をむさぼることができます。

そしてそれに続くフォロワーが続発し、やがて得られる利益はどんどん減少し、またその方向とは反対方向に走ることで利益が得られることを証明する者が現れます。

こうやって振り子の様に反対方向に走り続けながら成熟していくのが文化であり、社会・経済です。

 

日本はその後、1990年代に入り、バブルがはじけ、今までのやり方が通用しなくなり、焦った企業は更にその欧米式の合理主義に基づいた経営を積極的に導入するようになりました。その代表が当時、日本の世界に誇る企業であった「SONY」です。

 

バブルがはじける前の1980年代位の企業はまだ、従来の日本の文化である「見えないモノや価値」を大切にする傾向がありました。

例えばチームで何かプロジェクトを成し遂げ、大きな成功を収めたときに、「いや、みなさんの尽力のおかげです。」などと謙遜する日本的な価値観と欧米的な合理性を持ち合わせた経営をしていた企業が多かったそうです。

 

古来の日本の文化を代表するものとして八百万の神があります。

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全てのモノに神が宿るとして崇拝し、目に見えないものを神格化していた文化です。

例えば、誰もいない道で便意を催し、道で用を足すということに対しても「人以外のものが見ている」として控える様な価値観があり、やがてそれは「恥」の文化となり、「恥」の文化は「武士」の文化となり、日本独自の価値観を作り上げていきます。

これは日本は自然災害が多く、自然の豊かな国であったことに起因します。(現在でも国土における森林の割合は60%で先進国でも有数の多さです。)自然災害を恐れる気持ちが、自然を崇拝するようになり、やがて全てのモノに霊性を感じ、神格化していくようになります。

 

「おてんと様が見ている」というセリフを時代劇で聞いたことがあるかもしれません。あれも日本独特のものであり、人が見ていないところでもきちんと秩序を守り、正しいことをするのが当たり前、という雰囲気があります。

欧米だったら「おてんと様が見ている?だからなんだ?」となることでしょう。

 

 

しかし、欧米式の超合理的主義の経営手法が徹底されればされるほど、日本の経済は低迷していくような気がしてなりません。

加速していく方向がどうも肌に合っていない。

今の安倍政権は明らかに日本国民よりもアメリカを見て政治をしているという意見もあるように、欧米化していけば行くほど、日本は異様な背伸びを強いられます。

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都会の空

少し突然ですが、ここで一つ、ストーリーをご紹介します。

 

ある青年の話です。

もともと純朴で素直に地方の自然の中で育った青年が、故郷を捨て、都会に出て来て空を眺めます。

 

 

「ふん、都会の空はどんなもんかと思っていたが、あのどん臭い、何もない地味な田舎と一緒だな。くだらない。」

「俺はこの都会で成功して、たくさんの金を手に入れて立派になるんだ。あの貧しい地味な田舎の暮らしはもううんざりだ。」

「良いスーツを着て、かっこよく都会で大きなビジネスをするんだ。この都会では努力次第で金も女も地位もなんだって手に入れることができる。」

 

青年は都会で、いつまでたっても、どこに行っても変わらない愚鈍な空を馬鹿にし、見下し、置き去りにするように加速して変わっていきます。

 

人を欺き、騙しました。

そのために、嘘も覚えました。

金の為に人を蹴落としました。

 

成功とお金、権力の匂いにおびき寄せられるように、そんな「努力」を重ねました。

目まぐるしく変わる周りの景色に飲み込まれ、夢以外のことは全て忘れていきました。

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やがて数十年が過ぎ、青年は今や立派な紳士になりました。

「努力」の成果もあって、ある程度のお金と地位を手に入れることができました。

彼は、今日も下を向き、マネキンの様に無表情な、濃いグレーの喪服の様に見えるスーツを着た人たちと一緒に、満員電車に詰め込まれ、会社に運ばれていきます。

 

彼は夢を叶えることだけの為に走り続け、全てを捨て、代償を払い、それを手に入れました。

しかし、うっすらと何か満たされないものを感じる時もあります。

 

ふとした時に思い出すのは、故郷の壮大な自然、疎遠になってしまったままの両親、自然の中で遊んだ幼い頃の友達、今ではどうなっているかすら分からない当時の恋人のことです。10dbce38493c469a83a3d93b6d362340_s

しかし、それらの記憶も徐々に薄れてきています。

 

彼は目まぐるしく変化する周りの中で、もうどうすることもできません。

流されるようにひたすら歩き続けるしかない。

 

どこを向いて歩いているのか、もう自分の幸せが、夢が何なのかも分かりません。

そんなことを考える暇もありません。

 

一番輝いていた、故郷にいた頃の思い出を徐々に忘れていきながら、ただただ歩き続けます。

お金では何でも買えない

いかがでしたか。

この青年は「日本」です。このストーリーは日本が資本主義に飲み込まれていく様子を擬人化したものです。

 

日本は欧米式の資本主義社会の効率至上主義、合理的な成果主義が加速し、皆で分かち合っていた仕事の成果を、「自分がやった!」と主張するようになります。

やがてヨーロッパのブランドを買い漁る人々が現れ、企業は財テクや不動産投資に走り、日本人のコツコツと貯蓄するような勤勉な国民性は薄れていきます。私には理解できないのですが、ブランド品の中に果たして幸せがあるのでしょうか。

 

バブル以前の日本は、お金なんか無くても、貧しいながらも生活を楽しむ工夫と術を持っていました。

自然に囲まれ、幸せが何かをはっきり理解し、それを中心に生活していました。

 

 

振り子の端まで振り切ったような究極的な資本主義社会では、お金を中心に生活があり、それを信じ切って心までその色に染まった人は、「お金で何でも買える」と思うようになるのも無理はありません。

 

しかし、今までの日本の経緯を考えると、「お金は本当に価値があるもの」と信じ込まされているだけかもしれないと思えてくるのです。

 

本当にお金があれば幸せなのか?それは豊かさと比例するものなのか?

そして、現在の異様な日本の経済・政治の状態は、資本主義社会という振り子のどの時点まで来ているのか?

 

真剣に考えなければならない時期に来ているのではないかと思います。

 

 

最後に一つ、作家の金子由紀子さんの「暮らしのさじ加減」という本の中にあった言葉をご紹介します。

 

「ベッドは買えるが、眠りは買えない。

本は買えるが、知識は買えない。

食べ物は買えるが、食欲は買えない。

家は買えるが、家庭は買えない。」

 

結局本当に大事なものは全部タダ、なのかもしれません。

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