
理学療法士協会が設立され、来年2016年で創立50周年を迎えるそうです。
今回は理学療法の歴史から未来のPTの生き残るヒントを考えましょう。
時代のニーズにより生まれた資格
第2次世界大戦により、戦中、戦後に傷病兵の脊髄損傷や切断の治療や復職訓練の必要性が急務となりました。
それを受けて、1965年「理学療法士法及び作業療法士法」が制定、施行されました。
よって、丁度2015年は法律施行より50年経ったことになります。
翌年の1966年に初めての国家試験が行われ、受験者数は1217人、合格者は183名で、合格率は15%でした。
それ以降は専門学校が出来たとか、学術誌が出来たとか、あまり面白くもかゆくもない歴史ですので省略。
要するに、戦争が終わり、日本が社会福祉国家として歩き始めた時に、理学療法士という概念が生まれ、主に傷病者を社会復帰させることを目的として、理学療法士・作業療法士法が制定されたということです。
リハビリの流行の歴史
こっちの方が大事かも。
ネットで検索しても出てきませんが、リハビリにも流行があります。
リハビリは、当初、身体機能回復をメインに考えられていたため、「筋力至上主義」とも言える、筋力をつけてなんぼって言う世界でした。
私の臨床経験15年上の先輩は未だに「プラットホームの土方(ドカタ)になれ」と言っています。
PTは患者さんと一緒に汗をかいて筋トレしろ、という意味です。
しかし、これは分かりにくい上に(ドカタって・・)、明らかに時代遅れです。
最近、脳科学の発達により「運動学習」という概念がリハビリ分野において強く認識されるようになっています。
そこから派生して「課題志向型」のリハビリが現在主流となっています。
ざっくり言うと、環境を考慮した上でそれに適した形のパフォーマンスを上げる、ということです。
(ざっくりし過ぎかもしれませんが。)
例えば、野球ではイチローと清原、どちらが筋力ありそうですか?
恐らく純粋な筋肉ボリュームは清原の方がありそうですよね。
でも、打率ではイチローの方が勝っています。
もし、筋力至上主義の考え方で行くなら、筋力を付ければパフォーマンスは上がる訳で、ゴリゴリのマッチョを連れてきて打席に立たせればヒット、ホームラン連発も夢ではない、ということになります。
しかし、実際は「運動学習」の差によって筋力の量はあまり大きな問題になりません。
もちろん、最低量は必要ですが。
また、現在の脳科学では脳単体の機能はかなり解明されてきており、
今注目されているのは、「脳と脳はどうやりとりするか?周りの環境にどう影響を受けるか?」ということです。
例えば、いつも怒っている上司に接している時のあなたと、楽しくて朗らかに話せる友達といる時のあなた、どちらの脳が活発に働いているでしょうか?
明らかに後者ですよね。
運動でも同じです。
野球で「次打たなければ死ぬまで刑務所に入れるぞ」って脅されてガチガチに震えながら打席に立ってホームランが打てるでしょうか?
まず、打てないでしょう。
要するに、リハビリ分野も脳科学も、
・単純から複雑へ
・単体から複合へ
・自身だけ、から周りの環境の中での自身のあり方へ
と視点が変化していっているのです。
この傾向はこれらの学問だけに留まりません。
現在の流行”繋がり力”を意識しよう。
スマホは携帯でありながらカメラやパソコンの機能を持ち、ルンバは掃除機でありながら自動で動き周ります。
AKBはファンの投票によって応援されていると同時に、プロデュースされています。ファンが投票することによってAKBを世間に提供しています。
現代の流行は、
「他のものとの繋がりの中にそのものの本質があるのではないか?」
という考えです。
言い換えると、繋がることで新しい価値を創出していく時代です。
LINEやFacebookはプラットホームであり、その走りと言えるでしょう。
例えば、我々理学療法士も生き残るために専門性を持てとか散々言われる訳です。
しかし、理学療法士は他の分野に疎い人が多い。
一昔前の理学療法士は未だに「リハビリのプロフェッショナルたれ!専門性を磨け!」と後輩たちに教えています。
しかし、プロフェッショナルとは、はたまた専門性とは何を指すのか、他分野からの視点で見ないとただの独りよがりの強みになりかねません。
他の分野との兼ね合いや、繋がりの中で初めて皆に求められる専門性が浮き上がってくる。
特定の分野に留まって専門性を主張しても、周りの共感を呼ぶことは無いでしょう。
もし、本当にこれから通用する力(専門性)を手に入れようとするなら、
まずは、
1.他分野の勉強をしてみる。
特にITなど、アナログなPT分野と正反対のもので、時代の最先端を行くものが良いです。
2.流行っているものの本体ではなく、他のものとの”関連性”に着目する。
何と繋がってて、繋がることでどんな効果が得られているか。
ここから始めましょう。
まとめ
専門性を持っていても、他者から受け入れられないのでは何の意味も無いです。
もう一度思い出してください。
理学療法士は、元は時代の要請(傷病兵の社会復帰)に答えて世に出てきた専門職です。
今の時代のニーズは何でしょうか?
理学療法士は何を求められているのでしょうか?
もし、何も求められていないのなら、それは自然淘汰という偉大な自然の摂理です。
逆らわず、静かに去りましょう。
発想の逆転が必要で、理学療法士が専門性を主張するのではなく、時代が必要性・専門性をPTに求めるのです。
それが専門性になります。
そこに未来のPTの大きな可能性が隠されています。
今後、このブログでその専門性に具体的に迫っていきます。
お楽しみに!