
10月26日(土)大阪の梅田グランフロントで行われた「第4回 医療介護福祉 働き方プレゼンビッチ」に登壇させていただきました。
登壇者は5人。トップバッターで発表
緊張しました。
プレゼンピッチという言葉自体は造語だそうで、「プレゼン」と「ピッチ(スタートアップの企業家が投資家に数分の話で投資を募る方法)」の中間の意味合いをとって「プレゼンピッチ」としているそうです。
発表時間は10分。
登壇者の皆さんはさすがにしっかりした方が多く、最後に「ピッチ」らしく仲間を募る方がほとんどでした。私は時間が足りずにあたふたして終わりました(笑)。
登壇して話した内容については、私の今までの経歴と、「アソビジョン・クエスト」についても少し話ました。
主催団体の社団法人ワーシャルのサイトに、私が「アソビジョン・クエスト」について記事を書いておいたので詳細はそちらをご覧ください。自分軸を探す方法「アソビジョン・クエスト」
登壇した内容を簡単に要約すると、このブログでもよく書いているのですが、物事はグラデーションであり、本業・副業と分けて考えるのではなく、両方を混ぜ合わせて考えることで、初めて充実した職業人生が送れるという旨のことをお話しさせていただきました。
以下はその内容のうち、10分ではとても話きれなかった部分、主に働き方について書いていきます。
本業に何もかも求めるのは無理がある
サラリーマンとしてどこかの企業や組織に勤務しており、本業に、
- やりがい
- 満足のいく収入
- 価値観の合う同僚
- 理解のある上司
- 残業なし
- ワークライフバランスの充実
など、全てを求めるのは本来無理があると思っています。これだけ組織の構造が崩れて求心力がなくなっている時代に、これら全てが職場にあるとはとても思えませんよね。
組織も今は日本全体が不景気で経営が苦しいところも多く、余裕がありません。
余裕があるところであれば給料もたくさん出して、休みもたくさん取らせ、職場環境、人間関係の改善に時間をかけることもできると思います。しかし実際はなかなかそうもいかず、業務をこなすことで精一杯で従業員のフォローまで手が回らないところがほとんどだと思います。
なぜか、部下や従業員は上司や管理職、マネージャークラスがみんな賢くて頭が良くて理解が良いものだと思っている人が多い印象がありますが、私はただ役割が違うだけで、普通の従業員とそう変わりないと思っています。
今までアルバイトを含めるとくさんの会社や企業で働いてきましたが、全て本当にそんな感じです。上司だから偉いとか賢い、頭が良い、仕事ができる、気が利くと言うわけでもなく、本当に役割の違いだけです。
50歳代以降の方は縦型社会のピラミット構造思考が染み付いていて、「下(部下)は上司の言うことを聞くことも仕事」と思い込んでいる人も多いですが、(そういう方は、部下の提案を聞こうともしないのですぐに分かります。手足(従業員)が考えるな!と言う考え方なので、提案するだけ無駄になります。もちろんそうでない50歳代の方もたくさんいます。)
それ以下の年齢の方は本当に皆さん気さくで、上司でも偉いという感じではありません。
仕事観はかなり変わってきている
私が今までアルバイトを含め仕事をしてきた20年間程度ですが、その間でも世間的なかなり大きく仕事観は変わってきています。
昔は、よくおじさんが言うように、「怒られて仕事を覚える」というのが結構当たり前でした。何も怒られなくなったら逆にやばい、見捨てられたと捉える傾向もかなり強かったように思います。
しかし、今はそうではありません。そしてそれをキャッチアップできておらず、昔の仕事観で仕事をしている人もたくさんいます。
人にはそれぞれ感じ方も価値観も違い、それに合わせて上司や同僚も接し方を変えていかなければなりません。
よく、「私は褒められて伸びるタイプです」と言う人がいますが、これは当たり前のことであって、怒られて嬉しい人なんておそらく1人もいません。モチベーションも下がるのが普通です。
ですから、「褒められて伸びるタイプです」とわざわざ言う社会自体がおかしいなと昔から思っていました。
ようやく当たり前のことが当たり前として「仕事の世界」でも通用するようになってきたと思っています。
次の仕事観の変遷 予想
上述のように、多様性を認め、皆一律に扱うのではなく、人によって接し方をきちんと考えるという事は今の仕事の世界でかなり浸透してきたように思います。上司はそのことを踏まえて部下に接する人が増えてきていますが、今度は部下が上司にそのように接するようになると思っています。
そして、現在の「仕事の世界」での一番の課題は、いらない作業を捨てていく、つまり「断捨離ができていないこと」です。
- 会議が多いし、何も決まらず、ただ報告を聞いているだけ
- やたらに書類業務が多い(誰もちゃんと読まない資料を作り、保管しておき、一定期間置いて捨てるとか無駄の極みです。)
- いらないハンコを押すところが多い
- 毎日、日報を書く→提出させることが目標なのでちゃんと誰も見ていない。
- ヒヤリハットを無理矢理提出させる
とか、いらないと思える仕事がすごくたくさんあるのです。
ハンコは日本独自の文化であって、今はクラウドサインというネット上で契約書類の交換ができるサービスもあり、私も使ったりしているのですが、そこでも日本の仕事観を反映させハンコの形のサインができる仕様があります。
本当はサインだけで良いのに(契約書として体を成します)印鑑の形にする必要があるというところが、なんとも日本人らしいというか、無駄なことが好きな文化だなあと思います。
これって、戦中の日本人のマインドと大きく変わりがないんだな、と感じています。考えてみれば、まだ70年程度しか経っていないので、そう大きくは変われないですよね。
戦時中も第一次世界大戦で使った武器をやたら改造・改悪し、複雑な構造にすることで壊れやすく、使いにくくしていたという日本の歴史があるそうです。で、結局は「武器はそこそこで良い。根性と大和魂で勝て!」と兵士を戦場に送り出すのです。
このマインドで現代の組織でもつい最近まで来ていたように思います。
日本人の根底のマインドはやはりここにあるのだと思わざるをえません。仕事の世界では、日本はまだ戦中・戦後だったのです。
合理性と偶発性
確かに根性や気合が大切だったり、仕事を徹夜でこなさなければならない時も、仕事のフェーズ、あるいは人生のフェーズによってはアリだとは思います。
しかし、ずーっとそれで行くわけにはいきません。いつか体を壊したり精神を病んだりしてしまうことでしょう。
これからは人生100年時代。
職業人生も昔と比べてかなり長くなってきます。無理なく、他者と比較し過ぎず、ポツポツと自分に合った仕事をこなしていく方が、長い目で見て勝ち組ではないでしょうか。
色々と言いましたが、私が言いたいのは、もう少し仕事に合理性を取り入れ、断捨離をしていくことが長期的な視点で見れば現時点で必要なことだと強く感じています。
合理性を追求すると偶発性が少なくなり、人間味のある仕事、それに付随する楽しさや人との繋がりが削がれる、無駄なことにこそ人生の醍醐味があるという考え方も理解はできますが、それにしても失うものが多過ぎて釣り合いが取れないと思います。
時間と意思力・思考力はかなり貴重な資産であり、有限です。何に使うのか十分考えなければなりません。
そもそも私は、合理的に仕事を進めることを推奨していますが、合理性に信頼をおいていません。
どういうことかというと、普通の人間が頭で考えて合理性を突き詰めたところで、たかが知れており、それでも無駄な作業がたくさんあるはずだと思っています。なので、合理性を突き詰めて考えて実行するくらいで、程良いアソビ(無駄なこと)は存在していると思います。
つまり、合理性を突き詰めて効率的にやっていこうとするくらいで、程よく人間味のある仕事ができると思うのです。
合理性を全く意識しない仕事のやり方は、明らかに無駄な作業が多過ぎです。
合理化・効率化の過程で私たちは「仕事の意味」を再発見する
そして、厄介なのが、組織内で無駄な仕事を作り出すことを仕事としている人たちがいることです。
アウトプットとかアウトカム、「私たちの行っている仕事の成果とはなにか?」と本質的な議論をすることなく、ただ、ミスを減らすために大して必要のない仕事を誰かが提案し、上もそれを認めてしまう傾向がどこの組織にもあります。
消費税を8%しか払わず、イートインスペースで飲食している人を店員にチクるお客さん「正義マン」が話題になっていましたが、あれに近い人が職場にはたくさんいます。
従業員のミス(お客さんに不利益が生じるようなミスではなく、社内での管理上ミスとされるミス)を減らすために、従業員が何重にもチェック機能を持たせ、どうでも良いことを提案します。そして自分と同僚の仕事を増やします。
私から言わせると、自分で自分の首を締めているようなものです。
グレーなところを、あえてみんながグレーにしている場合もあることに気付いて欲しいものです。
まとめ
しごく当たり前のことなのですが、複雑に考え過ぎて当たり前のことがわからなくなるのが私たち日本人の性質・性としてあるようです。
今後、仕事の効率化、断捨離を進めていく上で、逆算思考や出口戦略というのか「私たちは仕事を通して一体何をしたいのか?何を成果として残すのか?」きちんと考えた上で、それが最大化する方向に効率化を進めていかなければなりません。
その過程で、私たち個人も仕事を通した自己実現とか、本当に意欲のある仕事への取り組み方や自分にあっている仕事を「再発見」し、次のステージへ社会ごと進めると私は思っています。