
「天才を殺す凡人」という書籍が話題になっています。多様化していく様々な人との関わり方について書かれている書籍ですが、この本の内容は様々なことに応用できるなぁと思います。
天才を殺す凡人
著書によると、天才というのは、創造性に長けた人と定義され、凡人は共感性に長けています。秀才は再現性に長けており、論理的に物事を処理するのが得意です。
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天才=創造性
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秀才=再現性≒論理性
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凡人=共感性
大多数の人は天才の創造性に富んだ、一見すると突飛な発想を理解できません。
天才は物事の価値を創造的かどうか?を軸に物事を判断しており、共感性や論理性(≒再現性)には価値をあまり感じないことが多いです。
なので、お互いに「理解できない」と排斥し合う構図が自然と発生してしまいます。
しかし、よく考えてみると、凡人である私たちにも、創造性の芽が奥底に眠っていることを思い出します。
子供の頃、絵を描くのが好きだったり、紙や段ボールを工作して自分なりにかっこいいと思うロボットを作ってみたり。
二元論は思考停止
テレビでは、なんらかの問題に対して白黒つけようとコメンテーターが躍起になっている場面をよく目にしますが、物事は全て多面的であり、レイヤー(階層)が存在しています。長所は見方を変えれば短所にもなりますし、逆も然りです。黒と白だけで綺麗に割切れる事はこの世にほとんど存在していません。
レイヤーを見ようとしないことを”思考停止”と呼ぶのだろうと思います。
凡人=共感性しか持っていない、というものではなく、共感性の値が他と比較して高いだけであり、創造性も再現性ももちろん持ち合わせています。パーセンテージの問題です。
なので、凡人でも自分の創造性を振り返ってみることで、天才のすることが少しは理解することができるかもしれません。
文章にも重要な「共感性、創造性、論理性」
文書を書く際にも、
- 共感性
- 創造性
- 論理性
という要素を文章構成に入れる意識は非常に重要だと感じています。
論理性のみを意識して書かれた文章は、読んでいてあまり面白くない場合も多いです。(もちろん文章の目的やターゲットにもよります。)3つの要素のバランスを意識して書くと良いと思います。
共感とは
共感性を文章に盛り込むには、「あなたにも、〇〇ということがありませんか?」というように、読者の考えている(だろう)ことに共感を示します。
「この文は全く自分には関係がない」と思うと、読者は読もうという気にもなりません。共感性を示すことで特定の読者に自分に関係があることだ、という印象を持ってもらえると読んでもらいやすくなります。
創造性とは
創造性とは、「尖った意見」のことです。
「勉強することは学生にとって重要です。」というような文章では面白くありませんよね。あまりにも当たり前すぎて創造性がありません。
例えば、「座学の勉強はそこそこで良いのです。なぜなら、学生時代には勉強以外にも色んな経験をして、活きた体験を通して学ぶことの方が重要だからです。」というように、創造性のある文章とは、ある程度、常識の裏をいくというか、考え方が尖っている文章のことです。
論理性とは
文章のはじめに共感を示したら、その根拠を論理的に説明していきます。
アメブロなどの無料ブログの多くは、”共感性のみ”に特化しており、根拠や論理的な視点が欠如しているものも散見されます。(それが悪いとは思いません。それで何か感じる人がいればそれで良いと思います。)
しかし、できれば、論理的に自分が思う文章を、誰にも分かりやすく噛み砕いて説明してあげる方が良いと思います。その際には、論理的に説明する事と合わせて、根拠やデータを示す事も重要になります。
「天才を殺す凡人」は凡人が生きやすくなるための書籍
文章の書き方について、天才を殺す凡人の書籍の内容を参考に紹介しました。
この書籍が本質的に伝えていることは、「多様性を許容する社会に向かって、皆が生きやすくする」ものだと感じました。
天才を排斥、非難する凡人の社会の構図で本当に不幸なのは、誰でしょうか。
私はきっと、凡人であろうと思います。
正解が一つしかないと思っている、視野の狭い凡人は、天才に対して理解を示さず、怒り、不快な気持ちになる。
天才は、理解してくれない凡人から離れれば済みますが、怒りを抱いた凡人は自分の気持ちからは絶対に逃れることはできません。いつまでも、どこに行っても不快な気持ち、怒りと戦い続ける必要があります。それが好きで好む人もいるでしょうが、私はそういった人は少数派であると思います。
天才を理解することは決して天才のためではなく、凡人のためにこそ必要なことであろうと思います。
”これから目指すべき生きやすい社会”とは、多様性を許容し、他者に干渉しすぎず、各々が自分の人生に全力集中することで成し遂げられるものだと思います。
Twitterなど見ていると思いますが、皆がネットやSNSで繋がりやすくなった現在、真逆に行こうとしている流れも存在するように感じます。
互いに監視し、人によって違う価値観、正義を押し付け合う社会・・・。結局、誰も良いことにならないのではないでしょうか。誰もが生きづらい社会になってしまう可能性も高いのです。
そんな流れがテレビや各種SNSで散見される今、「天才を殺す凡人」は、本来進むべき多様性の道(おそらくこれからの日本において避けて通れない道です。)を示唆してくれる素晴らしい書籍だと思います。