
「これをやりたいと思っているんですが、どう思いますか?」という相談を受けることがあります。
「これをやりたいんですけど、どう思いますか?」
皆さんは何と答えますか?
私は、いつも「やりたいならやりましょう!」とお答えしています。
ブログへの相談が多いときは1週間に1回以上来ていたのですが、1通1通返信していて思ったことは、世の中には「背中を押して欲しいだけ」の人がたくさんいる、ということです。
きっかけというか、自分が「動き出す起点」を求めているのでしょうね。
しかし、これは実は危険なことだと思っています。
1つの道を選択するということ
私は、自分の人生において理学療法士という職業に就く道を選択し、数年経ちますが、その間は幼稚園の先生になることはできません。
…何を言ってるんだ?と思いますよね^^;もちろん説明しますよ。
つまり、1つの道を選択すると、同時にその他の全ての道は閉ざされるということです。
世の中で何かを得たいなら、その他全てを捨ててその道に邁進するしかないように設計されているのではないかと思います。
もし、自分が強烈に何かやりたいことがあるとする。
それを選択する時に、それを手に入れた後の想像ばかり膨らんでしまいがちですが、実は裏側でたくさんの選択肢と可能性がひっそりとあなたから消えていきます。
人生において何かを選択するということは、「それ以外のことを捨てる」ということと同じなのです。
人の言いなり
もう少し分かりやすく、伝わりやすいように例を挙げてみます。
ある大学生が「この職業に就け!そうすれば将来安泰だ!」と父親に言われて、自分の本心とは裏腹にその職業に就くとします。
いざ働き出すと、”ツマラナイ、シンドイ、モウヤメたい”となってしまう。
そうなるとどうでしょうか?
その子は数年頑張って心と体を病み、仕事を辞めてしまうかもしれません。親を恨むようになることも十分考えられます。
子:「父さんが無理やりあの仕事を押し付けなければ、あんな辛い思いをすることはなかったのに!!」
では、この子は親にどう答えれば良かったのでしょうか?
きっと正解はこうです。
父親:「この職業に就け!そうすれば将来安泰だ!」
子:「だいたい、なぜその仕事が将来安泰だと分かるの?誰にも未来は分からないよ。
もし、僕の人生をお父さんが決めるのなら、万が一その仕事がとても辛い時、僕はきっと死ぬほどお父さんを恨むと思う。憎むと思う。
ほら、よく最近テレビであるじゃん…。
無職で引きこもりの子が親が寝てる間にバットで頭を…っていうやつ。
それでも良いの?お父さんはその覚悟できてるの?
僕はお父さんにそんなことしたくないから、自分で自分の道を選ぶよ。ほっといて。」
私が今、大学生ならこう答えると思います。
なぜ自分で決めらないか
たぶん、
- 自分で決められない
- 他人の承認が欲しい
- 背中を押して欲しい
人は、もちろん全ての人ではありませんが、選択に伴う「捨てるものの多さ」を感覚的に理解しているのではないでしょうか。(意識はできていないかもしれません。)
だから、失敗した時の保険として人に承認を求める。最悪、その人のせいにできるから。
人に決めてもらうということは、それ相応の責任を相手に求めることと同じです。求められる方としては、非常にプレッシャーに感じてしまうことになります。
人生の”初期設定”として、捨てることでしか何かを選択できないようになっています。それを理解した上で自分で選べ!!と私は言いたいのです。それが”自分の人生を生きる”ということです。自律した人生を送るということです。
だって、恨む方も良くないし、恨まれる方も良くないじゃないですか。まして他人同士の場合、恨まれる方は相手が分からないところに逃げてしまえば勝ちです。知ったこっちゃありません。所詮他人の人生ですし。
一方で、恨む方はず〜っと恨んでいるかも知れない。そんなの不幸でしかない、と思うのです。