コミュニケーションと人間性【逆説の真理】


偶然を楽しむことができるようになれば、おそらく最強に人生は楽しいと思うのです。




昔から真逆の事象には真理があるんじゃないか?と思っていたのですが、最近理解できそうになってきたので言語化しておこうと思います。

人生は全て偶然の産物である

「偶有性」という言葉があります。

偶然に在ることを偶有性といいます。少し深く考えてみると、私は自分の過去の人生において、何1つ自分で選んでいないのです。人生には偶然しかありません。

私が私の両親の元に生まれたことも偶然です。そこから始まって、他者との出会いは、いくら考えて戦略を練ったところで自分でコントロールできません。しかも、人との出会いで人生は大きく変わっていきます。

もし、中学校の国語の先生が退屈な人なら、国語が嫌いになって理系に進むかもしれませんよね。それを数年後に「自分は国語より数学が得意だ!」と思っている、ということが人生には無数にあります。

「自分の意思で人生を切り開くんだ!」と安易に言う人は、人生が全て偶然でできていることを理解できていません。何かを自分の意思で行う時にも、その前に偶然、自分がそれをしよう!と思うきっかけになる出来事に遭遇しているからに他なりません。

「キャリアの8割は偶然によって決まる」と言われますが、これは考えてみれば当然です。「人生の8割は偶然によって決まる」と言っても過言ではないと思います。

自分の意思を反映させる

人生はほぼ全て偶然で決まる。これはたぶん疑いようがありません。

では、自分の意思は関係ないのでしょうか。偶然に導かれ、あるがまま、人生の荒波に漂うように生きるのが正しい生き方なのでしょうか。

 

私はそうではないと思います。

偶然に強烈に支配される人生で、それでも自分の意思を貫き、少しでも自分の人生をより良いものにしようと、涙ぐましく努力することにこそ人間が人間たる尊厳があります。

だから、人間として胸を張って生きるなら「自分はこうなりたい!」と理想を描いて人生を送る必要があります。

 

意思をはっきりさせれば全員の人生がその通り進むのなら、それは大して価値があるわけではありません。誰でもできることには希少性も価値もありません。

しかし、自分の人生が偶然に支配されていて、なおかつそのことを理解しながらも、それでも自分の思うように人生を歩んでみせる!という意思こそが、有り難く(滅多にない)、尊いし、人間が人間たる所以なのだと思います。

コミュニケーションと思いやり

他に例を挙げると、コミュニケーションも同じです。

言葉を尽くしても、何をしても、私の頭の中の感覚をそのまま相手の頭の中にインストールすることはできません。赤いリンゴを見て、私の子供に「赤いリンゴだね」と言ったところで、子供には同じ赤の赤さが見えているとは限りません。

言葉はほんのちょっとだけ自分の頭の中の感覚を切り取って伝えるためのツールであり、すごく不十分なコミュニケーションツールです。だから、人は身振り手振りのジェスチャーを使ったり、話し方や表情を変え、非言語のコミュニケーションを言葉に合わせて使います。しかし、それでも全く十分ではありません。

 

私が今感じている、生々しい感覚を他者に完璧に伝える手段は今のところありません。世間で言われる、「話せば分かり合える」というのはごく浅い程度においてはその通りだと思います。

しかし、ある場面では、もっと仲良くなりたいと思い、必ず数%のロスが生じる言語・非言語のコミュニケーションを尽くせば尽くすほど、お互いに認識の差が積み重なり、やがて心が離れてしまうこともあります。

悲しいですが、話せば話すほど、”理解し合えない”という気持ちで満たされてしまうのです。そんな経験ありませんか?

おそらく心から人とコミュニケーションを取ろうと思ったことがある方は思い当たることがあると思います。

 

何をしても深く心を通い合わせることはできない…。でも、だからこそ人は”思いやり”を開発したのだと思います。

絶対に完璧に分かり合えない意思伝達の方法しか存在しない世の中で、他者を”思いやる”。人はコミュニケーションで伝えられない部分を思いやりで補おうとします。

絶望的に理解し合えないことを理解していながら、それでも全神経を集中して相手のことを理解しようと努める。ここに人間の人間らしさ(人間性)があるのだと思います。

ただ言葉を話すだけだったら、それこそロボットにもできます。これ以上分かり合えない、と判断したらそこでプログラムを停止するのがロボットです。可能性0%なことを実行する意味は0%なので、ロボットにとってはそれがベストな選択、つまり”正解”なはずです。

相手の状況や置かれている立場を、自身の経験を踏まえてコミュニケーションをタイムリーに調節する、つまり、相手を思いやるということはロボットにはきっとできないはずなのです。

しかし、人間は正解ではない答えをあえて選びます。

そこが人間のコミュニケーションのもっとも素晴らしいところだと思います。だから、”思いやり”は大変価値があり、気高く人間らしい行為なのです。

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まとめ

人間は、時には”横に座るだけ”というコミュニケーションを取ったりします。悲しんでいる人の横にただ座る。何も話さず、無表情でただ座るだけ、です。

それだけで多くの情報を伝え、相手が涙を流すこともあります。

 

偶然に支配されるようにプログラミングされた人生では、いくら勉強して努力を重ねようが思い通りに生きることはできません。

じゃあ、と、せめて人と心を通わせて自分を慰めようと思っても、それも叶いません。

 

人生には残酷な制限がたくさんあります。でもだからこそ、人生はより輝くのだと思います。これが逆説の真理です。

どうしようもない矛盾を受け入れて、それでも前に進もうとするその心が、馬鹿らしく、愚かで、でも、だからこそ人間にしかできないことであり、美しいのだと思います。

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