
これからは『他力本願で生きる人が良いんじゃないか?』という話です。
やっと朝方人間に生まれ変われそう
最近は、21時頃に寝て、朝の3〜4時に起きて本業開始までやりたいことをやっています。やっと念願の朝方人間になれそうです。(笑)
色々と自分の時間の効率化を考えて実際に実験してみると、夜早く寝た方が睡眠の質が深いみたいで、短時間の睡眠(といっても6時間は欲しい)でも1日眠気が少ないということに最近気が付きました。
眠気があると、ぼーっとしている時間がもったいないと思ってしまいます。気付いたらそうなってますし、作業効率もすごく落ちる。
たぶん、若い時は朝方人間になるのは難しい(自分の経験上)のですが、年を重ねるにつれてイージーになっていく気がします。
高齢者が早く起きちゃうのと同じ感じですね。
みんなすごい!
オンラインコミュニティを運営し始めてから、「やっぱりみんなすげー!!」と毎日のように思っています。
僕が知らないことをバシバシ情報として挙げてくれたり、活発に個人で活動されている方ばかりです。お寺でデイを立ち上げようと頑張っている方だったり、個人ブログを運営しながら新しくサイトを立ち上げる方もたくさんいます。
とにかく、みんな年度始めの4月は気合い入れて色々やり始めるんだな、ということがよく分かりました(笑)
僕は今までガシガシ情報発信していたので、自分も結構頑張ってるやん!と思っていたのですが、全然普通でした。(笑)
前々から、すごい人は世の中にもっともっとたくさんいる!という確信がありましたが、本当にその通り。皆さん自身の活動に関する情報を表に出し切れていないだけで、すごい活動をしている人は世の中にたくさんいます。
僕が思うすごい活動というのは、何もお金を稼いでいるから、とかではありません。
自分の信じることを行動を起こして仮説検証したり、すべて自分で考えて、全責任を負って自分で活動している。これは大変すごいことだと思います。
なんというか、勇気に感服する訳です。「すごい尊いことだなぁ」と心底思います。
各々、自分が思う理想の世界に変えていこうと粉骨砕身しているのです。これこそ生きるってことじゃないのかと思うのです。
人には「自分の時間」が必要
皆さんの活動を拝見していると、やっぱり、人には本業以外で活動する時間が必要だ、と改めて思います。本当に自分らしい人生を生きるためには、自分の時間を持つことがまず必要だと思います。
- ゆっくりと気ままにネットや本で情報収拾する時間
- 思考を巡らすための穏やかな、集中できる時間
- 仲間と実際にアクションを起こすために戦略を練り、準備する時間
これがどう考えても、自分らしく、豊かに人生を生きるために必要なのではないかと思います。
大してお金にもならない残業をしている場合ではありません。そんな暇があるなら副業しようぜ!と現代の定型分的なことを言いたいのでもありません。
というか、大して意味のない残業で自分の時間を、いや、人生を削っていることに気付かなければなりません。
お金になるかならないかは大きな問題ではありません。
自分の頭で世界を再定義して、何かしら違和感を感じて、自分なりに頭を絞りまくって、自分の持てるだけのリソースを使い倒して、世間的には小さくても、でも自分としては大胆に何か行動を起こしてみる。
そんな経験がすごく尊いし、もっともっと沢山すべきだと思うのです。
失敗したって、恥かいたって全然OKです。そんなのは小さな問題。
つまずくことも気にせず、ガンガン自分の思いを形にしていく努力をする、その過程が純粋に美しいと感じます。それが文章であろうと動画であろうと何だろうと形なんてなんでも良いのです。
世の中には本当に自分の頭で考える、ということすら、どうやってやるのか忘れてしまったような人もいます。テレビが言うことが世の中の全てだと思っている人もいます。
与えられるばかりで人に与えるにはどうすれば良いのか、皆目見当が付かない人もいます。
ニュー他力本願で生きる
僕は「新しい形の他力本願」がこれから時代にマッチすると思っていて、「自分の力で生きていこう!他人に迷惑をかけないで生きていこう!」という価値観はもう古いと思います。
僕は何かをする時、もちろんまず自分で考えますが、目標が大き過ぎる、または、明らかに自分の力を超えたことをやりたいな、と思ったら、主体性を維持しながら他力本願になります。あくまで「主体性を維持しながら」というところがポイントです。
困った時の神頼みという言葉があります。
僕はコミュニティのみなさんの活動を見ていると、「他人様は神様だなぁ」と心から思いました。僕には到底出来ないことをやっている。僕にはない能力を持っている。
一方で、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もあって、これは僕が大好きな言葉です。
この人事というのが、自分でできることは精一杯やる、ということ。天命を待つというのは、一般的には、神に頼る、天の判断に任せるというような意味だと思うのですが、僕の場合は、神が他人なので、自分でできることをやったら、そのあとは他人に頼る、というスタンスです。
他人を巻き込み、迷惑を掛けます。
でも、他人は神様なのだから、「僕はもうめんどくさいんで、あとはおねげーしまーす。」とかテキトーに言ったら逆鱗に触れて罰が当たるでしょう(笑)
自分でできることは精一杯やるからこそ、遠慮なく他人を巻き込むこともできるし、精一杯やっている、という姿勢がしっかりと伝われば、他人(神)は決して見捨てないのです。
そして、自分も同じように他者に対して神になる。なりたいと思う。テキトーに何も考えず、自分で何もしない奴が頼ってきたら罰を下すかもしれません(笑)
というか、正直力になりたいと思えません。
でも、一生懸命やっている人が頼ってきたら、もちろん無償でも何でも力を貸す。いや、頼ってこなくても力を貸します。
これが巷で最近良く言われている”ギブ”の、僕なりの解釈です。
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まとめ
「自分ひとりで生きていかなければならない、何でもやらなければならないし、人様に迷惑を掛けてはならない」という固定概念というか、思考停止状態は時に(結構な頻度で)人を生き辛くさせます。
こんな常識だって、「人が生きやすくするため」に本来は存在したはずなので、現代の感覚に合わないなら採用しなければ良いのです。
選ばない、採用しない、という選択をするのです。
僕たちは常識を守るために生きているわけではないし、人様に迷惑を掛けないために生きている訳でもありません。
リハビリの臨床で高齢者の方々に毎日会って話していると痛感することがあります。人は、根源的に人の役に立つことに幸せを感じる生き物だということです。
たとえ身体が思うように動かなくても、無償でも良いから働きたい、できるだけ他者に貢献したい、という人がたくさんいます。
”ニュー他力本願”は決して悪いことではないのです。むしろ、逆に社会で人が幸せに生きるために大切なことだと思うのです。ぜひ、みなさんもニュー他力本願で生きましょう。
※追伸
昨日noteで”自分の考え方のみ”を書いた文章を販売したところ、本当にありがたいことに1日で10冊購入して頂きました。僕にとってはこのnoteはすごく挑戦でした。なんせ、何も根拠もないし、役立つノウハウ的なことは一切書いていないからです。(笑)それを有料(490円)で販売しました。
今は、テクニックや枝葉の部分の知識は無料でそこら中に転がっている時代です。「ブログ 書き方」で検索してみて下さい。ありとあらゆる有益な情報が山のように無料で手に入ります。
noteも、「インスタグラムでフォロワーをたくさん集める方法!」とかノウハウ的な記事ではなく、自分の考え方とかマインドのみを書いた文章の価値がこれから相対的に上がると思っているので、今回の記事はその仮説・検証のつもりでした。
昔は、「日記みたいなブログはダメ!(検索に引っかからないから)」と言われていましたが、今後は”深い日記”みたいなのは人気出るんじゃないかな?というのが僕の意見です。もちろん、ただ、食べたご飯の写真を貼り付けただけのブログじゃないですよ。
たとえ金額は少なくても、このnoteを購入して頂けたのはすごく嬉しくて、大変価値ある気付きを頂いたと思っています。
僕が最終的に目指すのは、『みんな好きなことをして、それが人様に役立って収入も得られる』という世界です。
その実験として今回のnoteを書いてみたのですが、これが売れれば、新しい可能性をみなさんに提示できます。専門知識や突出したモノを持っていない人も、熱意があれば少しは稼げるかもしれないのです。
これからも色々と仮説検証していきます。
…ちなみに、今回書いたnoteはこんな感じです。良ければのぞいて見てください。