
何かを勉強する時に、ついついノウハウやテクニックを意識しがちですが、これから生きていく上で、”感覚的要素”が重要になってくると思います。「フィーリングや感覚は当てにならない(再現性が低い)」と思う方もいると思いますが、私はなかなか有意義なものだと思っています。
”人はみんな違う”という当たり前のこと
人は非常に個別性の高いものです。リハビリの臨床で言えば、例え同じ疾患であっても、同じ症状が出るわけではなく、当然人によって様々です。さらには、その症状が日常生活に及ぼす影響はもっと多種多様で千差万別。
元々、人には至る局面で共通の部分は見られるものの、決して簡単に一括りにできるものではありません。
産業革命以降、資本主義の価値観が浸透し、化学的であり、合理的であり、効率的なもの、それらが「価値のあるもの」と認識されるようになりました。この時の”良い仕事をする人”というのは、ノウハウやテクニックに長けており、基準以上の価値を素早く正確に生み出せることが条件になると思います。
いわば、ロボットのように速度と正確さが同時に求められ、それが個人の職業人的経験により養われていたような社会・生産構造です。
しかし、効率化を突き詰めれば、自然と対象を統一化したり、簡略化するようになります。つまり、対象を無理やり何らかの枠にはめて定義するようになります。
これは少し”自然のルール”に反しています。
元来、自然の世界に存在するものは、一見すると不合理であり不条理、矛盾に満ち満ちています。枠に収まりきらないものがほとんど。それを無理やり枠に収めて”人にわかる”形で定義する学問が産業革命と同時に浸透した”科学”だと思っています。
しかし、部分で見ると一見矛盾して見えるものでも、広い視点(全体)で捉え直してみると、それらは合理的かつ効率的に存在しています。他と混ざり合い、循環することで矛盾は打ち消され、完璧な合理性・効率性が完成するような仕組みになっているように思えます。
情報化社会の到来により”知識の価値”は下がった
15年ほど前は、Internetの世界は存在していたものの、普段、日常生活の中で気軽に使えるようなものではありませんでした。SNSを何気なしに気軽に使って、知らない人とコミュニケーションを取ることが日常的にできるなんて想像もできませんでした。
今では、YouTubeで世界レベルで有名な人のセミナーや講義が無料で聞けたり、”勉強したい!”と強く思うのならば、ノウハウやテクニックはいくらでもネット上に転がっています。もちろんブログ運営の方法だって検索すれば簡単に手に入ります。
ノウハウやテクニックはほとんど無料化しており、情報はいつでもオープンになっています。
あなたが望む世界への入り口となる知識やノウハウはネット上に転がっているのです。つまり、それらの価値は昔ほど高くなくなっているということだと思います。
情報化社会の次に求められるもの
今までは、ノウハウやテクニックなど、現実世界にアプローチするために必須のスキルが重要視されていましたが、これからはより上位の概念である、
- 気持ちやマインド
- 感覚
というすごく漠然としてものが重要になってきます。(もちろん、ノウハウやテクニックが不要な訳ではなく、二元論的な話ではありません。)

何か思考を始めるきっかけになるものは全て、自身の”感覚”です。普段何気なく目にしているものに違和感を感じなければ、そのことについて深く考えることはありません。
ノウハウやテクニックは知識レベルではネットですぐに簡単に確認し、たとえ完成度は低くてもとりあえず実践することができます。そして、それを繰り返せば自然にレベルも上がります。
しかし、感覚を共有したり、ネット上だけの情報で他者に感覚や気持ちを伝達することは非常に困難です。なので、そのレベル(精度)を上げることは簡単ではありません。
私は昔から小説が好きで沢山読みましたが、どの作品も、”作者の感覚や気持ちを伝達するための試みである”と感じていました。言葉をそのまま伝えても、自分の心の中にある言葉の意味を正確に他者に伝えるのは非常に困難です。
「温かい気持ち」を伝えたい場合、「温かい気持ちがした。」と書くだけでは絶対に伝わりません。それをテキストだけで他者に精密に伝えたいのならば、何万文字もストーリーや物語を綴らなければならないでしょう。(あるいは逆に俳句のように言葉を限りなく少なく削ぎ落とすか…)
感覚を磨こう!
何かで行き詰まった時に、
- 再定義をすること
- 自分の感覚に従うこと
は非常に重要だと感じています。
感覚は非常に膨大な情報量を持っています。例えば、私はよく経験しますが、気の合う人と夢中になって話をしていると、自身で自分の話している内容にびっくりすることがあります。
フロイトによると、人の精神世界には自覚できる”顕在意識”と自覚が困難な”無意識の領域”があるといわれています。
無意識に普段自分が感じていることが表出されるのか、自分の頭では解釈できていなかったことが話をしている内に勝手にまとまっていくことを何度も体験しています。(ブログを書いていても同じようなことはよくあります。)
この現象は、頭で考えていて理解できなかったことが、実は言語化されていない領域で理解できていたのだ、ということだと思います。
この”理解の別法”を使えば、より自由に様々な物事を考え、新しい発想が成されやすいと思います。
感覚を磨くことのメリット
- 深く考える癖が付く
- 仲間が増える
感覚が思考の入り口になります。感覚を磨けば自ずと自身に入力される情報量が増えて、思考が深くなります。
また、ノウハウや知識を共有している人との繋がりよりも、感覚を共有している人との繋がりは非常に絆が強固です。違和感を感じ、その違和感から気持ちが生じ、ノウハウや知識を勉強し始める。
大元の感覚が似ている人同士は、放っておいても同じことについて興味があったり、自然に似たことをしていることが多いです。
感覚で繋がる仲間がいれば、自ずと似た方向を見ています。今流行りの、”ゆるい繋がりの関係性”というのがそれに当たるのではないでしょうか。
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感覚を磨くためには
- 人と合うこと(アウトプットの機会を持つこと=情報を発信すること)
- 自身の中のフィーリングを大切にすること(内観)
ピラティスには”内観”という概念がある、と以前ピラティストレーナーの方に教えて頂いたことがあります。
まさしく、内観が感覚を鍛えるために重要です。ある事象に遭遇した時に、自身の心がどう動いたのか、外の世界に向いていた注意を自分の中に振り返って、わざわざ確認してみると感覚がより鋭くなっていくように思います。
まとめ
人は、「自分の感覚は自分が一番よく分かっている」と思っているものです。また、少し前の社会構造の雰囲気のままで「ノウハウやテクニック重視」の人が多いように思います。
しかし、実際は、自分のことは自分が一番よく分かっていないし、ノウハウやテクニックの価値は昔ほど高くないように感じています。
情報化社会の到来といわれてもうだいぶ経ちますが、自身の感覚を”分かっていないもの”としていちいち再確認し、
- 自分をもう一度振り返ってみること
- ノウハウやテクニックは後から付いてくるもので、先に追い求めるものではないこと
そういったことを改めて意識してみると良いかもしれないと思います。