療法士の専門性について「療法士に多い3タイプを分析!」どのタイプがこの仕事に向いている?


私は以前全く関係のない職業で正社員の仕事もしましたし、アルバイトで工場から日雇い、アパレル、ホテルなど10種類くらいの業種を経験してきました。

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そのあとに療法士・セラピストとして働き始めましたが、この業種は「プライドが高い人が多いなぁ」と言うのが初め正直に感じた感想です。自分も人のこと言えませんが・・笑

Twitterで流れてくるセラピストの呟きを見ていても思いますし、今では数多くあるセラピストのブログを見ていても思います。

そこで今回は専門職のプライド(誇り)とそのタイプ、プライドの根源である専門性についてお話ししようと思います。

療法士に多い3タイプ!あなたはどれ?

療法士のタイプを3つに分類・分析してみました。

Aタイプ:ゴリゴリの専門職系

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ゴリゴリの専門職タイプの療法士は、自身の手技や患者さんの機能回復に絶対の自信を持っています。基本的に自信家です。

いわゆる「ゴッドハンド」に憧れ、そんなもの実は存在しないということに薄々気付きながらもついつい夢想してしまいます。

いつまでも夢を追いかける少年のような心を持っています。臨床冒険家的な性質があります。

医学的な知識も豊富で、リハビリのことなら朝まで話せる自信があります。語ります。熱いです。研究をしていることも多く、今後の療法士業界の発展にも1役買おうと頑張っています。

 

このタイプがバイザーになると実習生は結構大変です。

体だけでなく、患者さんの人生、心に触れる楽しみ、というのも実際この職業の醍醐味であり、やりがいに直結しているところではあるのですが、どうしても身体機能ばかりを診ることを優先させてしまう傾向があり、当然実習生にはそこまでの専門性は備わっていないため、苦労することも多いと思います。

しかも、バイザーの意向に沿ったつもりで、身体機能ばかり診ていると「疾患ばかり見て患者さんのこと診ていない!」と怒られることもあります。

このタイプは年配の臨床経験を積んだ療法士に多いです。

昔はそういった手技的なテクニックを深めること=専門性を高めると考えられていた傾向が強かったためです。

Bタイプ:バリバリの活動・参加系専門職

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ゴリゴリ専門職タイプは一見取り付きにくい怖そうな人も多いですが、活動系のセラピストは話しやすく、親しみやすい雰囲気を持っています。

当然ある程度の医学的な知識はありますが、あまりそれを重視した考え方はせず、どちらかというと患者さんとお孫さんの話でもしながら和気あいあいとリハビリをします。

チームプレイが得意で、何か疑問に思ったら各専門職に軽いフットワークを活かして相談し、解決しようとします。

実際のところ、どんな手技を用いても、体を外から触って治せないという事態は現実的に山程ある訳で、体をこねくり回すよりも、痛み止めの薬を飲むほうがよっぽど効果的で患者さんにも有益なことも多いのがリハビリでの臨床です。

最近の地域リハの特徴である活動や参加に焦点を置いたリハビリが得意で、時と場合によっては機能回復をそっちのけにしている場合もあります。

Cタイプ:出来れば他職種に転職したいチャラチャラ系

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Cタイプ療法士の休日の姿

何となく専門学校や大学に進学し、セラピストになったタイプです。

やたらオシャレであったり、病院や施設でもバッチリメイクをしていたりします。

絶対に公言はしませんが、対象がお年寄りが多い職業であることに少々うんざりしており、出来ればアパレルなどの華やかな職業も体験してみたいと心の中では思っています。若い人に多いです。

 

一見すると「ダメじゃん!」と思われるこのタイプ人でも、3年くらいリハ職を経験し、この仕事の本当の面白さに触れることが出来れば続けることができますし、熱心で立派なセラピストになる可能性も充分あります。

私は実際にそういった人を何人も見ました。

だいたいチャラチャラしてるから、濃いメイクをしているから、オシャレであるからと言って治療の質には根本的に関係ないです。

休日に同僚と遊びに行くのが生き甲斐で、楽しいことを追求します。当然、ゴリゴリ専門職タイプとは相性が悪く、非難の標的になることも多いタイプです。

 

 

「あなたはどのタイプですか?」

もちろん1人の人間を簡単に分類できる程単純なわけないのですが、大まかにこのタイプに当てはまる人が多いのかなと思います。

私はゴリゴリとバリバリの間で、バリバリ寄りですかね。何のこっちゃわからんですね笑。

これから生き残るタイプは?

専門職ってこれからどこでもそうでしょうけど、厳しい時代に突入していきます。

2025年以降に高齢者が減って、そこからは特化した専門性がないと療法士は生き残れないという話があります。
しかし、冷静に日本の社会全体を俯瞰して考えてみると、高齢者が減るどころか、日本の人口そのものが減るのですから、療法士だけが厳しくなるわけでもないでしょう。

さらに言うと、若い人の方がガンガン減っていくわけで、若い人をターゲットにした仕事の方がしんどいのではないでしょうか。

 

自分で勉強して情報を簡単に得られる世の中では、誰もが皆プチ専門家になれる可能性が高くなります。少しくらいの専門性であれば、一般の人でよく勉強している人にかなわい可能性も充分にあります。

専門性とは何か?

しかし、いくら熱心に勉強しても、身に付かないこともあります。

それは、「経験知」です。

 

実習生とバイザーを比べれば一目瞭然です。いくら勉強していても、1人の患者さんも最後まで診ていなければ、それは机上の空論であるかもしれないし、そうであるという確信すら持つこともできません。

 

リハビリで言うと、何百、何千人と診てきたという臨床経験ですね。

これは普通の人が絶対にいくら勉強していたってかないません。

 

そもそも、リハビリにおける技術・知識の発達は感覚による「経験知」を拠り所にしています。可動域制限の因子の特定(エンドフィール)しかり、MMTの評価においてもそうです。

徒手で筋肉や関節を動かすことが私達の主なアプローチ方法です。その時の感触や見た感じなど、言語化できない情報を処理して治療を組み立てることが、どうしても大きなウェイトを占めてしまうのは当然です。

その反動として、現在言われている様なエビデンス(科学的根拠)が重視されるようになったのでしょう。

専門性を特化させると生き残る??

セラピストで、「これからは専門性に特化していこう!」という人は多いですが、私はこの「専門性」という言葉に人それぞれの解釈があるような気がして、少し気になります。

また、こういうことを言っている人でも、「本当の専門性って何なの?」って聞かれたらよくわかっていない・・というケースがあります。

人によっては、ただ認定資格を取れば良いと考えている人もいるような気がしています。勉強さえすれば良いという風潮です。

しかし、上述のように、今後に生きる、本当の価値がある専門性とは、経験を経ることでしか獲得できません。

 

小児に特化した専門的なリハビリをしようと思ったら、誰よりも小児を診るつもりでいないといけません。

勉強の有無よりも、そちらの方がより専門性としての価値は大きいと思います。

 

なので、

「ガムシャラに臨床で数多く患者さんに接して、悩んで、それを解決するために勉強する。」

ということができている人は将来本当の専門性を発揮できるのではないかと思います。

量は質に転換するという真理

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私は、専門性の極致が、天才と呼ばれる人達の偉業であると思います。

リハビリの分野以外でも、天才と呼ばれる人たちはまず、圧倒的な数をこなします

ゴッホなんかは起きている間ずっと、寝食を忘れて絵を描くため、炭鉱労働者みたいな腕をしていた、という逸話もあります。ピカソも同じようなエピソードが山のようにあります。絵画の分野に限らず、エジソンしかり、アインシュタインしかりです。

そして、ガムシャラに数をこなしているうちに、それはいつからか、質に転換し始めます。

前と同じようにやっていても、明らかに質が上がってきます。

そうして他の人にはとても真似できないような特化した専門技術に昇華され、専門性が生まれます。

 

これは私の好きなブログ運営でも言えることで、ひたすらガムシャラに、勉強しつつ記事をしつこく、例え誰も見ていなくても往生際悪く、とにかく書く。そこから初めて質の問題になってきます。

恐らくどの分野でもこれは同じです。
技術や知識は、経験の数・量がやがて質に変化していくということは真理として存在しているように思います。

 

リハビリ分野では勉強が先行しがちなところに違和感があり、量をこなすための経験をまず重視しなければならないと思います。

 

そうなると、次に出てくるのは、じゃあ、臨床経験を積んでいれば専門性が高いのか?偉いのか?という疑問ですね。

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臨床経験を積んでいれば専門性が高いのか?偉いのか?

結論から言うと臨床経験=専門性が高いという訳でもありません。

なぜなら、半分寝ながら患者さんを診て、リハビリの臨床経験をこなしていてもなんの進歩もないからです。ただの作業です。体力が付く位の恩恵しかありません。

 

よって、

専門性の深さ=経験×勉強量

という方程式が当てはまるのではないでしょうか。

実習生の指導も「経験×勉強量」で考える

これは実習生の指導にも応用できます。

私たちがバイザーをするとき、イライラしてしまうことの多くが、実習生の専門性の欠如に起因しています。

 

それとは別に、基本的な対人マナーができていない場合もありますが、これはもうその人の人格や今まで生きてきた軌跡でもああるので、数か月の実習中にたとえ教える事はできても、直す事は難しいでしょう。

直ると思っていることが間違っています。そんな簡単なものではないです。

 

実習生が勉強してきていても、 実際に臨床でその知識を患者さんを前に使ってもらうと「なんか違う・・」ということが多々あるように思います。

経験×勉強量=専門性であれば、実習生の経験は0に等しく、いくら勉強していてもそこから本当の専門性を感じることは少ないです。

 

ここらをバイザーが理解していない場合、不毛な「THE・ブラック実習」の出来上がりです。ただバイザーと実習生が消耗するだけの消耗戦になります。business_black_kigyou

実習生に経験から得られた知識、つまり経験知を求めるのはおかしいのです。ある訳ないですから。

少し考えれば分かることですが、意外と認識していない人が多い気がします。

そこに気付けないバイザーは、そのバイザーこそが本来は教育者として「不可」を付けられるべきであり、実習生は不可を付けられるのがおかしいどころか、良い被害者です。

実習生の指導はどうすれば良い?

実習生に今後に向けて、療法士としての専門性を身に付けて行ってもらうためには、バイザーは、

実習生の「経験✖︎勉強量」をどうやったら育てていけるか?

を考えなければなりません。

 

よって、何かを「やらせない」という、経験を積むことを禁止させる方法を取るバイザーもいますが、このバイザーもこの本質に気が付いていません。

むしろ、「ダメだ・・」と思う実習生ほど、どんどん経験させなければなりません。

 

また、勉強してこない実習生に対しては、ただ闇雲に「やってこい!」と言うだけでは、療法士としては立派かも知れませんが、教育者には向いていません。それでやるのなら初めからやってきているでしょう。

そういう学生には、なぜ勉強してこないのかを探って(評価して)テコ入れしていかなければなりません。

勉強の仕方がよくわかっていない場合も多くありますし、教科書を読んでくれば良いと思っている場合も多いです。ではなくて、臨床ではピンポイントで、患者さんの問題点に対する勉強をしなければあまり意味がないです。それが実習ですから。

 

よって、実習生が問題点を明確に認識できているか?といったところも重要になります。

そこで臨床技術の評価に繋がってきます。

評価が出来なければ、問題点も明確に認識できず、勉強もただの「活字の黙読」になります。それを私達が実習生から勉強の成果として報告されても「何か違う・・」と感じてしまうのは仕方のないことです。

本当の専門性の核になるものとは

専門性=「経験✖︎勉強量」であるという話をしました。

経験だけでもダメ、勉強だけでもダメ。

結局は両方バランス良く積み重ねていける人だけが価値のある強い専門性を発揮します。

 

そのための核となるものは一体なんでしょうか?

経験と勉強の両輪を繋ぎ止める「軸」になるものは何でしょうか?

 

最終的には「患者さんのために」という志を持っているかどうか?というところに行き着きます。

自分の名誉や、功績、自己保身や治療効果による自己効力感ばかりに目が奪われていると、患者さんのためにという視点はどうしても薄くなってしまいます。

患者さんをそのための道具であるかのように知らずに認識してしまいます。

そういった療法士を私はたくさん見てきました。

 

経験×知識・勉強の「経験」はリハ職を続けてさえいれば、みんな自然に積むことができますが、患者さんのための勉強は「患者さんのために」という志がないとできたものではありません。

また、「自分のためにした勉強」は、ただの自己満足である場合も多く、専門性を高めるための勉強とならないこともよくあります。

 

経験ありませんか?

「何となく参加した勉強会。役に立ちそうな気がしたけど、3か月もすれば、内容をはっきり思い出せない。」

という経験・・

 

臨床で担当患者さんと悩みを共有し、必死に解決策を探るために勉強すること(勉強したところで解決できる様なものではないことも多いですが。)ができて、初めて本当の専門性を兼ね備えたリハビリ専門職となり得るのではないかと思います。

療法士のタイプ分析で分かること

上述のABCの3タイプでどこに属していても、良い悪いなんていうことはありません。

A→B→Cと言う順にリハビリ業界の人口分布が増えていっている気がしますが、それも時代の流れです。仕方のないことで、別に悪いことではありません。

 

しかし、AタイプがCタイプを責め立てる、なんてことをよく見かけますが、やたら違うタイプの療法士を攻撃し、責める、非難する傾向がある人は要注意でしょう。

個性を認められない、異なった価値観を受容する能力が低いと思うからです。対人援助職である臨床家として大切な基本的姿勢が欠如しているかもしれません。

 

 

冷静に考えると、専門職として、これから厳しい時代に突入していくのに、身内の狭い世界で仲間割れしている場合ではありません。

一緒に特性や違いを活かし合って、助け合っていくべきです。

手技が得意なAタイプの人はBタイプを非難するのではなく、活動・参加の部分をBタイプの人に助言してもらえば良いですし、なんなら、その部分を丸投げしても良いと思います。

 

酷い人の中には「勉強しない奴は、この業界から消えろ!」と公言するもいます。

自ら業界の首を絞めているようなものです。

そして、そんな人に限って「これからは専門性に特化していこう!」と唱えていたりします。

 

しかし、その人自身が勉強しているのは、最終的には自分のためや自身の身の保身のためであり、他を蹴落とし「生き残る」ためであります。患者さんのためではありません。

そのような知識が臨床で本当に活きるのでしょうか?

臨床で活きない知識は、専門性を発揮することはできません。

 

 

患者さんのことを熱心に想って臨床に取り組むからこそ、必死に勉強し、専門性が高まります。

この順序がおかしくなると、それはただの自己満足であり、専門性は深まらず、発展は見込めないでしょう。

 

自身と違うタイプのセラピストを攻める傾向のある人は、少し思考が偏っており、一言で言うと「古い」と思わざるをえません。

昔ならそれで良かったのでしょうが、これから厳しくなっていく業界で、異質のものを排除するのではなく、異質の者同士で「協力する=補い合う」という発想ができないとキツイです。

「違いを悪とみるのか、善と見るのか?」

タイプの違いを悪と見るのか、善と見るのか?そこで結果は180°変わってきます。

 

漫画「ワンピース」の登場人物たちは、それぞれ際立った個性があって、みんな違いますよね。

でも、一つの目標に向かって協力して、違いを精一杯活かしながら目標達成に向けて突き進んでいきます。

 

大きな共通の目標がある彼らには、「あいつが嫌い!」とか「消えろ!」とか言っている暇などありません。そんな時間があるのなら少しでも前に進まなければなりません。

彼らにとって、目標達成のために、タイプの違いは最大の武器であり、長所です。

まとめ

私は、普通の人間1人の専門性を極限まで高めたところでたかが知れていると思います。

歴史に残る天才レベルの人間ならば少し話は違いますが・・。私を含め、99.9%の人はそうではないと思います。

 

療法士の世界では最近よく「生き残る療法士になれ!」と言われたりします。

 

”生き残る”という言葉自体も好きではありませんが、(生き残れない人を生むという事と同じ意味だからです。)少なくとも、そんなことを言っている人は生き残る可能性は低いのではないでしょうか。

 

元々、”生き残る”という考え方自体が少し変だからです。

一昔前の企業のスローガンみたいです。そんなことを言っていた企業は今皆衰退しています。

 

結局、他人の力を自在に借りられる人というのは強いですし、最強といっても良いと思います。

弱点がないのですから。

 

本当に最後に生き残るのはそういう人だと思います。

 

そして、そういう人は異質なものを排除するのではなく、敵でさえも自分のフィールドに取り込んでいきます

そうなると、最終的には敵も味方もいなくなり、つまり、生き残れない人もいなくなり、自身の成長がみんなの成長となります。

そういった人は利害関係が一致するため、皆が応援し、協力し、より良い循環の中で何倍ものスピードで成長していくことができます。

 

私もそんな療法士になりたいと強く思っています。

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