本当はみんな「グレー」~障がいは世間と社会によって作り出されている~

障がいは世間


私は、障がいに対してアプローチするリハビリの仕事をしています。皆さんは「障がい」って一体なんだと思いますか?




https://twitter.com/PT50139040/status/1018673181278629888

僕は最近、初めて会ったセラピストに「僕はアスペルガーのグレーやと自分で思ってるんですよ〜」という話を「クソ真面目に笑顔で」します。

僕の性格として、数年前からブログにやたら固執したり、音にやや敏感なところがあるし、すぐに周りが見えなくなってぼーっと違うことを考えてしまう癖があります。

そうすると、「えっ?!」って感じで、ちょっと引いてるセラピストもいたりします。

 

僕は、「この人は障がいについて考えたことがあるのだろうか?どうやって対象者の障がいと向き合ってるんやろか?」と思ってしまうのです。

だって、僕の中では、世の中の大半の人が”グレーゾーン”だという認識だから。僕がアスペのグレーだとしても、結構普通のことで何も驚くべきことではありません。

反対に僕が「アスペのグレーなんですよ〜」という人に出会っても、「あ、そうなんですか。」という感じです。

僕の中では「くせ毛なんですよ〜」と言われたのと同じくらいの衝撃です。むしろ、それって「わざわざ言う必要あるの?」というレベルに当たり前のことだと思ってます。

障がいという幻想

社会的に都合の悪い人を「障がい者」と呼ぶという「幻想」が社会に蔓延しています。

 

そもそも、理学療法士は、傷病兵の社会復帰のために職業として出来たものです。戦争中に足がなくなり、戦後なってから工場で働けない人に義肢装具を着けて歩行練習を行なっていた職業です。つまり、社会的に生産者として役立つように、人を無理やりカスタマイズする仕事でした。

しかし、今は工場で働くこと以外、肉体作業よりも知的作業が価値を持ちやすい時代です。

当時は当時、今は今。

全く状況が違います。

 

しかし、いまだにその当時の精神性を引き継いでいる側面が多々あります。

障がいがある人かどうか判定するために「評価」があります。

リハビリ系の学校ではこの評価手順を覚え、正確に実施できないと落第したり、実習中にも「できない奴」として先生から烙印を押されます。

「評価ができることが私たちの専門スキルだ!」というベテランの人も多いです。いやいや…。

 

評価をして、身体の機能障害や、何かしら身体の中で普通とは少し違うところが判明したところで、一体何になるというのでしょうか?

パラリンピックを見れば分かるように、片足が義足でも僕よりも早く走れる人もいるし、障がいがあっても僕よりお金を稼いでいる人も世の中には一杯いる。僕よりも友達が多く、人生を豊かに暮らしている人も、もちろん沢山いる。

逆に五体満足で健康そのもの、体力が有り余る若い人でも、自ら死を選んでしまうくらい精神的に落ち込んでいる人もいる。豊かな人生だ、とは言えない状況で、歯を食いしばって生きている人もいる。

 

近視の人も昔のメガネがない時代には、ほとんど障がい者みたいな扱いを受けていました。

でも、今メガネを掛けている人を障がいがある人って目で見ますか?

 

同じように、今、HALというロボットスーツが在宅に普及していくという話がありますが、もし、これが各家庭に普及したら、片麻痺の人は障がい者みたいな目で見られなくなるでしょう。

障がいって本来その程度のものです。

※参考 2016年4月CYBERDYNEの「ロボットスーツHAL」、いよいよ保険適用へ。リハビリの現場はどうなる?

 

じゃ、「障がい」って何がいけないの??

身体が他の多くの人と違うといけないの??

そもそも治すべきことなの??

”正常”と”異常”の違いはなんなの??

 

 

 

ズバリ、周りの、社会=世間の目がいけないのだと思います。

本人の問題ではなく、周囲の問題。

 

そして、私たちセラピストもそこに加担している人が多くいます。何も考えていないから周りに流されて、障がいに立ち向かい、一緒に克服していくはずの職業が、障がいを作り出していることに気付いていないという、何とも間抜けな話が結構あります。

 

なぜ身体の機能が他の人と違うといけないのか?

自分なりに考えてみたことのあるセラピストは、一体どれくらいいるのでしょうか?

こういう類の問いには、いつも答えはありませんが、それでも一度考え抜いたことがあるかどうかで、その人の本気度合いが分かるというものです。

 

正常と異常を判別するためのものが「評価」なら、正常と異常とは一体なんなのか?

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障がいは世間と社会が作り出している

障がいは当事者が作っているのではありません。世間が、社会が作り出しています。無闇に人を評価して判定する、何も考えていない思考停止セラピストもそこに加担しています。

理屈ばかりで頭でっかちの、対人間 評価・判定ロボットにならないようにたいものです。そんなのは人間のする仕事ではありません。将来的に機械にでもやらせれば良いです。

 

僕たちはココロに寄り添う仕事をしています。

まずは、「身体のプロフェッショナル」である前に、個性のプロフェッショナル」でありたいものです。

そのためには、徒手のテクニックや技術・理論、ノウハウをセミナーで学ぶ前に、色んな個性を持つ人と接しましょう。

 

ココロから会話しましょう。

身を削って、嫌なのに傷つけられ、望んでないのに他人を傷つけてしまうような経験も沢山しましょう。

異性も同性も、色んな主義主張、好みがある人と絡んで、色んな価値観や世界を知っておきましょう。

話はそれから。

 

寺山修司の言う、「書を捨てよ、町に出よう」という言葉がまさしくぴったりくるなぁと思います。

セラピストはきっと、今大きな転換期に直面しているのだと思います。

https://twitter.com/PT50139040/status/1018750381071847425

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